覚醒剤

覚醒剤(かくせいざい、覚醒アミンとも[1][2])とは、薬用植物のマオウに含まれるアルカロイドの成分を利用して精製した医薬品であり、アンフェタミン類の精神刺激薬である[3][1][2][4][5][6][7]。脳神経系に作用して心身の働きを一時的に活性化させる(ドーパミン作動性に作用する)。乱用により依存を誘発することや、覚醒剤精神病と呼ばれる中毒症状を起こすことがある。本項では主に、日本の覚醒剤取締法の定義にて説明する。ほかの定義として、広義には精神刺激薬を指したり、狭義には覚せい剤取締法で規制されているうちメタンフェタミンだけを指すこともある。俗にシャブなどと呼ばれる。医師の指導で使われる疾病治療薬として、商品名ヒロポンとして、住友ファーマで製造されていた。
日本の覚醒剤取締法で管理される薬物には、フェニルアミノプロパンすなわちアンフェタミン、フェニルメチルアミノプロパンすなわちメタンフェタミン、およびその塩類やそれらを含有するものがある。反復的な使用によって薬物依存症となることがある。法律上、他の麻薬と別であり、所持、製造、摂取が厳しく規制されている。フェニル酢酸から合成する手法が一般的であるが、アミノ酸のフェニルアラニンを出発物質として合成することもできる。
「覚せい剤」から「覚醒剤」への名称変更および刑法
[編集]「覚せい剤」→「覚醒剤」
[編集]2010年まで「醒」が常用漢字に含まれなかったことにより[8]、代用表記「覚せい剤」が一般的であった。
現在では「覚醒剤」と表記するのが一般的であり、「覚せい剤取締法」は2020年(令和2年)4月1日をもって「覚醒剤取締法」に改称された[9]。
日本の法律
[編集]日本では、第二次世界大戦後に、アンフェタミンと特にメタンフェタミンの注射剤の乱用が問題となった。このため、1951年(昭和26年)6月30日に覚せい剤取締法が公布される。「日本の法律上の覚醒剤」が規定されている。
第二条 この法律で「覚醒剤」とは、次に掲げる物をいう。
三 前二号に掲げる物のいずれかを含有する物 — 覚醒剤取締法
一 フエニルアミノプロパン、フエニルメチルアミノプロパン及び各その塩類
二 前号に掲げる物と同種の覚醒作用を有する物であつて政令で指定するもの
第二条で指定されている薬物は、「フェニルアミノプロパン」すなわちアンフェタミン、「フェニルメチルアミノプロパン」すなわちメタンフェタミン、またその塩類である。第三条に規定されるように、医療および研究上の使用は認められている。
日本の法律における規制対象としての、麻薬及び向精神薬取締法(麻薬取締法)における法律上の麻薬とは異なる。法律に関しては後述の法規制の項にも詳しく記載する。
訳語の問題
[編集]1957年の厚生省麻薬課の国連薬物犯罪事務所(UNODC)における報告では、「覚醒剤」(awakening drugs)として知られる「精神刺激薬」(stimulant)の乱用を規制する「アンフェタミン類取締法」(Amphetamines Control Law)と報告し[3][4]、UNODCの他の外国の研究者やユネスコでの厚生省麻薬課の報告では「覚醒剤取締法」(Awakening Drug Control Law)である[5][6]。
1995年の法務省刑事局の『法律用語対訳集』では、覚せい剤取締法を、Stimulant Control Law[10]と訳している。
2009年の日本睡眠学会による『睡眠学』の「精神刺激薬」の項では、精神刺激薬は一般に覚醒剤とも称されると説明されている[11]。
『心理学辞典』では、覚醒剤とは中枢神経系に覚醒作用を及ぼすアミンであり、アンフェタミン・メタンフェタミンなど眠気を抑え覚醒水準を高める薬物だとしている[2]。 2011年の『現代精神医学事典』では、覚醒剤の英語をメタンフェタミン、アンフェタミンとし、覚醒剤取締法にて指定されている薬物の総称だとしている[7]。
なお、世界保健機関の『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』第10版(ICD-10)では、分類のstimulantに精神刺激薬の語を用い、アメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計マニュアル』第5版DSM-5においては、上位分類に精神刺激薬関連障害群(Stimulant—Related Disorders)である。
私的研究会の定義
[編集]覚醒剤研究会による覚醒剤の定義は、広義にはカフェインやコカインも含む脳内を刺激する中枢神経刺激薬であり、狭義には覚せい剤取締法の規制対象のアンフェタミンやメタンフェタミンなどである[12]。しかし、アンフェタミンは日本ではあまり使用されていないため、日本における覚醒剤の歴史解説では便宜的に狭義の覚醒剤をメタンフェタミンに限定している[12]。ドイツ語の覚醒アミン (Weckamine) に由来する[12]。英語の Stimulant では、もっと広義であり興奮剤なども含むとしている[12]。
一方、同研究会が定義する広義の薬理学的分類では、カフェインよりはるかに強力な中枢神経刺激作用を持つ医薬品も含まれることとなり、またアンフェタミンに関しては一律に法規制の対象ではないことに留意を要する。
具体的には、注意欠陥・多動性障害(ADHD)に処方されるメチルフェニデート塩酸塩(商品名:コンサータ)、アンフェタミンのプロドラッグであるリスデキサンフェタミン(商品名:ビバンセ)があり、特にビバンセはプロドラッグとして体内でd-アンフェタミンに変換されるため、法規制の対象としての「覚醒剤」そのものである[13]。よって覚せい剤取締法上の覚醒剤原料に指定され、厳格な帳簿管理や保管規制を受けている。仮に簡易薬物検査をすれば覚醒剤反応は陽性となる[14]。
一方、コンサータは第1種向精神薬として、依存、乱用を防ぐため、医師・医療機関・薬局・患者の登録を伴うADHD適正流通管理システムの下で厳格に管理されている[15]。
覚醒剤の作用機序
[編集]神経科学的基盤
[編集]アンフェタミンおよびメタンフェタミン、さらに同様の精神刺激作用を有するコカインやメチルフェニデートは、中枢神経系に作用する精神刺激薬であり、主としてドパミン神経系に影響を及ぼす。これらの物質は血液脳関門を通過し、脳内に移行した後、シナプス前終末におけるモノアミン動態を変化させる。
アンフェタミン系薬物は、ドパミントランスポーター(DAT)を介して神経終末内に取り込まれた後、小胞内モノアミン輸送体(VMAT2)を阻害し、シナプス小胞内のドパミンを細胞質へ放出させる。この過程によりDATの逆輸送が誘導され、シナプス間隙へのドパミン放出が増加する[16]。
一方、コカインやメチルフェニデートは主としてDATを阻害することで、シナプス間隙におけるドパミンの再取り込みを抑制し、その濃度を上昇させる[17]。
これらの作用は特に、腹側被蓋野(VTA)から側坐核へ投射する中脳辺縁系ドパミン経路において顕著であり、報酬関連処理や動機づけに重要な役割を果たす。
ドパミン機能の現代的理解
[編集]従来、ドパミンは「快感物質」として説明されてきたが、現在ではこの見解は修正されている。ドパミンは主に報酬予測誤差を符号化する神経信号として機能する[18]。
また、ドパミンは報酬そのものの快感ではなく、動機づけや行動の強化に関与する。一方、実際の快感は主に内因性オピオイド系によって媒介される[19]。
依存形成と神経適応
[編集]覚醒剤の反復使用により、ドパミン系には長期的な神経適応が生じる。特に、快感の減弱にもかかわらず薬物への欲求が増大する現象が観察される。この現象はインセンティブ感作理論として説明されている[20]。
副作用
[編集]覚醒剤(アンフェタミン類)は中枢神経刺激作用を有し、急性作用として血圧上昇、頻脈、散瞳、発汗増加、口渇などの交感神経刺激症状がみられる[21][22]。
精神・行動面では、注意集中の亢進、多弁、反復的行動、不安や焦燥の増加などがみられる[23]。また、一部の使用者においては性的興奮が高まることもあるが、男性の場合、勃起障害が生じるケースが多く見られる。
幻覚や幻聴などの精神病様症状は一部の使用者にみられるが、覚醒剤の薬理作用とするには再現可能性が著しく乏しいため、その発現には用量、連続使用による睡眠剥奪、使用者の既往の精神疾患の有無など複数の要因が関与すると考えられている[24][25]。
よって、これらの症状は必ずしも全ての使用者に生じるわけではなく、DARCの創設者で自身も覚醒剤による逮捕、有罪判決を受けた経験のある近藤恒夫などは、著書『拘置所のタンポポ』において「体内から抜けると効果があった時の反動により動きたくない状態になるだけで覚醒剤に副作用は存在しない」と記載しており、実体験者達と統計上顕在化される一般的な<依存症者像>との乖離が見受けられる[26]。
急性の精神病様症状は使用中止および休養により2日〜1週間以内でほぼ改善する(一部では遷延する場合もある)。また、覚醒剤はアルコールと違い、精神依存性は比較的高いが、身体依存性はない薬物である。
長期使用に関連して、意欲低下、抑うつ、不安、社会的孤立などの精神症状が報告されているが、これらは薬理作用そのものに加え、生活環境や心理社会的要因の影響も受ける[27]。いわゆる「覚醒剤後遺症」と呼ばれる状態については、その定義や病態に関して議論があり、統合失調症との鑑別も含め慎重な評価が必要とされる。
なお、医療機関や司法機関に把握される依存症者は全体の一部でしかなく、統計上、観察される臨床像は重症例に偏る側面が指摘されている(サンプリングバイアス= Sampling bias)[28]。 そのため、典型的とされる依存症像や重篤な精神症状の頻度については解釈に注意が必要である。近年では、治療や回復支援、ハーム・リダクションの観点から、個々の使用実態や健康リスクを多面的に評価するアプローチが重視されている[29]。
戦中におけるヒロポンと特攻隊への投与
[編集]
日本におけるヒロポンの製造の過程
[編集]日本では、1941年(昭和16年)、大日本製薬(現住友ファーマ)がメタンフェタミン製剤ヒロポン、武田薬品工業がアンフェタミン製剤をゼドリンとして、市販された[12]。ヒロポンの効果や売上げはゼドリンよりも大きかった。ほとんどが軍に納入されたとみられている[30]。メタンフェタミン製剤はほかに、ホスピタン、ネオアゴチンといった医薬品、アンフェタミン製剤はほかに、アゴチンといった医薬品があり、密造品にも似せてそれらのラベルが貼られた[31]。密造の売買に関わったものは主に朝鮮人(戦後でいう在日韓国・朝鮮人。1910年から47年まで朝鮮半島は日本領)とされる[31]。
ヒロポンの効用
[編集]ヒロポンの効果については、医学界で発売以降に様々な研究をしていたが、効果は「之を服用すれば心氣を爽快にし、疲勞を防ぎ、睡魔を拂ふ等の興奮効果があり、しかも習慣性、蓄積作用等がないので、現在歐米各國の民間に於て興奮劑乃至能率増進劑として好んで使用されてゐる。即ち米國ではBenzedrine、デンマークではMecodrin、ハンガリアではAktedron等の名稱を以て盛に賣出されて居る。時局柄、產業、事務等各方面に於ける本劑の利用も或は一顧の價値あらんかと、ここに御紹介する次第である」と先に市販されている他国の例も出して除倦覺醒効果が強く有用な薬品であるとしていた一方で、常習性はないと分析していた。また不眠、食思不振、頭痛、焦燥感などの副作用も臨床実験で報告されていたが、効果・副作用を分ける基準が、主として被験者の主観的によるものが大きいとして特に問題にされていなかった[32]。
日本軍での使用目的
[編集]日本軍での覚醒剤の使用目的は、当時の医学界の研究成果の通り、「疲労回復」や「眠気解消」や「士気向上」程度を期待されていたものと推定される。それを証明する証言として、戦後の国会での厚生委員会で、厚生省薬務課長が戦中の覚醒剤の製造認可に対する質疑で「ヒロポン等につきましては、特別に製造許可をいたしました当時は、戦争中でありましたので、非常に疲労をいたしますのに対して、急激にこれを回復せしめるという必要がございましたものですから、さのような意味で特別な目的のため許したわけでございます」と答弁しており、覚せい剤の使用目的は「疲労回復」であったとしている[33]。仕事の能率を高めるなどとして精神科医の方面から宣伝され[31]、夜戦の兵士や、軍需工場の工員に能率向上として配布されたという回想もある[34]。
覚せい剤チョコレートの特攻隊への投与
[編集]覚醒剤チョコレートの特攻隊への投与に関しては、ルポルタージュによる個人の証言に依拠したオーラル・ヒストリーであるが、オーラルヒストリーを形成する上で、あまりにも証言が少なすぎるという指摘も一部存在し、覚醒剤チョコレートを世に知らしめた書籍『ヒロポンと特攻』[35]の著者である相可文代も、その不自然なまでの証言の少なさを懐疑し自問している。
覚醒剤チョコレートに関する記述がある論文として、熊野直樹[36]、西川伸一
[37]らの論文があるが、熊野は西川の論文を引用しており、西川は相可文代[38]の書籍を引用してるという経緯であり、単一出典の孫引き、循環引用(circular sourcing)での浸透であることが窺える。
証言の曖昧さ
[編集]有力な証言の一つとして挙げられるもので、覚醒剤チョコを「食べた瞬間にカーッときました」とあるが[39][40] 、バイオアベイラビリティ[41] 、生理学的プロセス(ADME)[42] 、吸収ラグタイム(Lag time)[43]といった薬理学、脳神経科学の法則から逸脱した現象として指摘されうる。
摂取する薬物種を問わず、錠剤、固形に成形された薬物で経口摂取で瞬間的に脳に到達し身体的変化を与える薬物は現時点において確認されていない[44][45]、投与量、体重、身長、年齢、性別、空腹or満腹、といった因子による変動を受けないロバストネスな生理的事実である。(注:現時点において経口摂取で瞬間的に脳に到達する化合物は確認されていないという意味での生理学的制約であり、摂取後、脳に到達する速度差は因子の影響で有意に変動する)
生理学的制約(Physiological constraint)により、錠剤、カプセル、固形に成形された薬物は、経口摂取なら主観的体感は最速で約15分〜60分はかかるが、メタンフェタミンは比較的吸収が速い物質ではなく、因子よる変動はあるが最大効果が発現されるまで最速で約2時間〜5時間(研究では平均3時間)、主観的体感では最速で約30〜60分以上かかることがChristopher C. Cruickshank、Kyle R. Dyerらの臨床薬理試験の研究で報告されている[46]。
また、チョコレートのような高脂質食を摂取した際、カカオの脂質により胃の運動が抑制され(胃排出遅延)[47]、摂取薬物の小腸への移行を遅延させると共に、脂質マトリックスが薬物を包み込み、消化液への放出を阻害するため、血中濃度の上昇速度が著しく低下することが複数の臨床薬理試験の研究で報告されており、最大効果の発現及び主観的体感の発現は約2倍以上(薬品・因子によっては5倍以上)の遅延が報告されている[48][49][50]。
Weie Cao、Bekersky、Sheena Sharmaらの研究は、一般医薬品での研究だが、Yi Wangらの臨床薬理試験では、最高血中濃度到達時間(Tmax)がメタンフェタミンと臨床的に有意差のないアンフェタミンを研究対象としており、高脂質食の摂取により、アンフェタミンの最大血中濃度の上昇が4.5〜5時間遅延したことが報告されている。またそれに伴い、主観的体感の発現も因子による変動はあるが最速で約60分以上〜180分以上遅延することが確認されている[51]。
口内粘膜への吸収においても同様であり、チョコレートに添加、成形した場合、カカオ脂の高脂肪マトリックスが物理的バリアとなり、唾液への熔解・放出を阻害させるため(遅延型経口吸収)、性質上、口内保持時間が短いチョコレートでは時間的制約において口内吸収への寄与は極めて限定的であり、カカオ脂に添加された成分の主な割合は口内吸収を待たずに嚥下され消化管内へと帰属する。
例外として、ジピリダモール(血管拡張薬)、ニフェジピン(Ca拮抗薬)、アメナメビル(抗ウイルス薬)…といったBCS Class II(低水溶性・高透過性)の薬品は、高脂質食の摂取により吸収が促進される[52]。
なお、Christopher C. Cruickshank、Kyle R. Dyerらの臨床薬理試験では人体への悪影響を回避するため、メタンフェタミン投与量は少量の30mgに抑えられている。
一方、ヒロポン錠1錠のメタンフェタミン含有量は1mg、アンプル1ccに対する含有量は3mgといった極微量の含有量に抑えられており、薬理学的にも興奮剤としてではなく、疲労回復、集中力向上といった効用を目的とし、健康被害、急激な意識の高揚、錯乱、混濁等を及ばさない低リスクな含有量が維持されていたことが示唆されうる[53]。
現存する一次資料
[編集]また、最も有力な証言として第七陸軍航空技術研究所の所員であった岩垂荘二が、当時同研究所の陸軍主計大佐であった川島四郎の命令で「覚醒剤チョコレートを製造した」という証言があり、熊野直樹、西川伸一らもこの証言が有力であるとし論文で採用しているが[54][55]、いずれも一次資料を精査した独自の実証的研究ではなく、相可文代の書籍『ヒロポンと特攻』[56]からの循環引用である[57]。
このチョコレートに関しては、一次資料として『昭和19年7月15日:夜間視力増強食製造仕様書』という公文書を軍部が完全な形で保管しており、製造法から、成分表、箱のサイズまで詳細に明記されている[58]。
同仕様書には、チョコレート内の成分が詳細に記載されているが、そのほとんどがビタミンB類であり、メタンフェタミン及びアンフェタミン類の記述はなく、唯一薬品としてはエフェドリンが記載されおり、エフェドリンの含有量はチョコレート一個に対して0.01gと詳細に記述されている。
現存している軍部の公文書の記録と岩垂荘二の証言の乖離は、岩垂が覚醒剤とエフェドリンを混同していたことが示唆されうる。
また「覚醒剤チョコレート」を世に周知させた相可文代自身も、戦中の「ヒロポン」使用証言があまりにも少ないことに疑問を呈しており、どこの工場で生産されたかも定かではないと結論づけており[59]、特攻隊にヒロポンを投与していたという元海軍軍医も覚醒剤チョコレートを「見たことがない」と証言している[60]。
オーラルヒストリー[61][62][63][64][65]により形成された覚醒剤チョコレートの特攻隊への投与に関しては、GHQの資料[66]や薬品会社、食品工場の記録、製品を梱包していた箱等の物証といった一次資料が不在であるため学術的に検証不能であり、実証、反証は困難な状態が継続している。よって現在に至るまで、医史学・薬学史・軍事史の分野において、一次資料に基づく体系的な検証研究は行われておらず、現状では学術的コンセンサスは形成されていない。
ヒロポンと暗視ホルモンの混同
[編集]薬学の専門家からは、メタンフェタミン自体が鎮咳剤エフェドリンの誘導体として開発された経緯もあり、初めは咳止め効果を期待していたが、覚醒効果の方が顕著だったために、主に眠気解消剤として夜間作業に関わる兵士用に応用されていたという指摘もある[67]。その例として、夜間戦闘機月光搭乗員として6機ものB-29を撃墜した旧帝国海軍のエース少尉・黒鳥四朗と飛行兵曹長・倉本十三のペアが、夜間視力が向上するとのことで、「暗視ホルモン」という薬物を数回皮下or筋肉注射で接種した。よく誤解、混同されているが暗視ホルモンはヒロポンとは全く別の成分の薬剤であり、戦後にGHQに接収された海軍航空技術廠の資料によれば、「暗視ホルモン」の成分は、牛や豚の脳下垂体から抽出されたメラノフォーレンホルモンとされ、ナチス・ドイツからの輸入品ではなく日本国内で製造され、台湾沖航空戦で既に使用されており、副作用等の毒性はないものである[68]
日本軍のヒロポン服用法
[編集]戦時中の覚醒剤の服用方法は、戦後の参議院の予算委員会の質疑において厚生省の政府委員によれば「大体、戦争中に陸軍・海軍で使っておりましたのは、全て錠剤でございまして、飛行機乗りとか、或いは軍需工場、軍の工廠等におきまして工員に飲ませておりましたもの、或いは兵隊に飲ましておりましたものはすべて錠剤でございました、今日問題になっておりますような注射薬は殆ど当時なかったと私は記憶しております。」との答弁通り、戦時中にヒロポン注射液を兵士に打っていたという一次資料は現存しない。 当時、強壮剤として市販され、個人的に使用していた兵士もいたヒロポンを軍部が無駄な時間とコストかけて隠蔽する合理的事由は希薄であり、戦後、軍医が「当時は何のアンプルが分からず兵士に打っていた」という証言もあるが、何の記載もなければどんな方法で、どれだけの量を投与したら良いのか不明だったはずであろう。また、何も記載がなければ、ロット管理、入荷、使用数、コスト管理も出来ず、当時の軍部の運営がそんなに杜撰だったとは考え難く、現に当時合法で市販されていたヒロポンより数倍怪しい「み号剤」や「航空元気酒」には普通にラベルが貼られている。合法薬物であったヒロポンだけを躍起になって隠蔽する必然性を立証するのは困難であろう。
また、兵士に筋肉注射をしていたことは事実だが、GHQの資料によればそれらはヒロポンではなく暗視ホルモンであったと記述されている。大日本帝国海軍の戦闘機搭乗員・黒鳥四朗の証言では、暗視ホルモンを打ったあとは「眠気がなくなり、冷静な判断力とひらめきを得たこと、恐怖心の抑制を挙げた」と証言しており、これはヒロポンに近い効用なので混同が生じる起因の一つであろう。黒島は戦後40年以上経ってから「あれはヒロポンだった」と証言しているが、その証言は二転三転しており、医学的、薬理学的、脳神経科学的知見から厳格に精査するプロセスが必要であろう[69][70]。
特攻隊とヒロポン
[編集]また、特攻隊員の恐怖心を失わせるために投与されたと主張する者もいるが[71]、歴史学者吉田裕は、「よく戦後の特攻隊に関する語りの中で、出撃の前に覚醒剤を打って死への恐怖感を和らげて出撃させたんだという語り・証言がたくさんあるんですけれども、これは正確ではないようです。覚醒剤を使っていたのは事実のようです。日本のパイロットは非常に酷使されていて(中略)疲労回復とか夜間の視力の増強ということで覚醒剤を大量に使っていて」とし、疲労回復や夜間の視力の増強が目的であったと指摘している[72]。
特攻隊員が覚醒剤を使用していたという逸話が流布した経緯として、戦後、民間企業がヒロポン注射液を製造、販売したことにより[73]、1947年頃〜1949年をピークに中毒者が激増し社会問題化した。その過程で人々の無知につけ込むような形で誇大な触れ込みがなされたり、あるいは社会問題化した結果として、他の多くの社会問題と同様に覚醒剤も暗黒時代であった戦時中の象徴とする主張がなされるようになり、レトロスペクティヴ・バイアスの視点から必ずしも事実とは一致しない証言や回顧が巷に氾濫することとなったといわれる。
その一例として、自らも薬物中毒で苦しんだ経験を持つフランス文学者平野威馬雄が、戦時中に軍需関係の会社の従業員していた人物より戦後の1949年に聞いた「頭がよくなる薬が手に入った。これは部外秘というやつで、陸海軍の特攻隊の青年だけに飲ませる“はりきり”薬で、ヒロポンという名前だ。長くない命に最後まで緊張した精神を維持させる薬だ」という話を紹介している。実際には一般にも流通していたものの、初期には一般の人々の無知を利用して、ヒロポンを「部外秘」と称したり、特攻隊の青年だけに飲ませていたといったような、宣伝文句として軍機密の妙薬か何かであるかのように見せかけて売捌き、そういった話が広まっていたことがうかがえる[74]。逆に、これはヒロポンが社会問題下した後に軍部を非人道的機関と位置づけ、覚醒剤禍の元凶として批判すべき対象とした際に、特攻隊員がその象徴として利用されていたことの例の一つとする見方もある[75]。
陸軍はヒロポンではなく栄養食に予算を投じていた
[編集]大日本帝国陸軍は、覚醒剤ではなく、パイロットに能力を最大限発揮させる栄養食品を作ることを目的に莫大な陸軍予算を投じおり、主に陸軍第七技術研究所を中心として開発されていた。内閣総理大臣東條英機の号令で開発が進められ、首相以下近衛文麿、広田弘毅、若槻禮次郎といった元老ら、軍や政治の中枢を総理大臣官邸に集めて、航空糧食の講演会が開かれており、政府や日本軍の期待度の大きさが覗える[76]。 サイパンの戦いに敗北し、東條英機が退陣した後は、戦局悪化により航空特攻の準備が加速するとともに、栄養食品の開発も加速し、東京帝国大学などの協力も受けて「航空ビタミン食」「腸内ガス無発生食品」「航空元気酒」「疲労回復酒」「防吐ドロップ」「早急出動食」「無火無煙煙草」など多数の栄養食品や機能付食品や嗜好品が作られ、パイロットに支給されていった[77]。
戦後GHQによるヒロポンへの関与
[編集]GHQによる「麻薬」の定義とヒロポンへの関与
[編集]終戦後直後における覚醒剤(メタンフェタミン)の大量流出・乱用について、「GHQが日本軍から接収した軍用備蓄(ヒロポン注射液アンプルを含む)を解放した結果、民間に大量流出した」という言説が一部存在するが、査読論文として一次資料に基づき当該説を実証的に支持した研究は現存しない。
GHQの指令書SCAPIN-389[78]は『Japanese military medicinal narcotic stocks」(日本軍用医薬品麻薬備蓄)』の保管・配布を対象としており、その主な押収品目対象は『阿片、モルヒネ、コカイン(原料のコカ葉を含む)ヘロイン、マリファナ』であり、メタンフェタミン(ヒロポン)は当時の国際麻薬条約およびGHQの定義では「narcotics(麻薬)」に分類されておらず、「Medical supplies(医療用消耗品)」として、「軍用医薬品麻薬」の押収・管理対象外であったことが示唆される。
戦後の麻薬の流通に関しては、熊野直樹の論文が有用である[79]。
GHQは1945年12月4日SCAPIN-389[80]における『日本軍用医薬品麻薬備蓄の保管・配布』の指令以前に、1945年10月12日付けのSCAPIN-130[81]において「narcotics(麻薬)」の定義・分類しており、そこには『阿片、コカイン、モルヒネ、ヘロイン、マリファナ、それらの種子および植物、ならびにそれらから派生したすべての物質、あるいはそれらの混合物または調製物を含むものとする。』と明記しており、1945年12月4日SCAPIN-389における統制命令が出るまで、及び翌年のSCAPIN全てを通して_“methamphetamine”, “Philopon”,"Amphetamine-type”,"stimulants“,“methylamphetamine”,“alpha-methylphenethylamine”_といった言葉は明記されていない[82][83][84][85]。
戦後のヒロポン禍の実態を検証した代表的な論文、書籍として、佐藤哲彦[86][87]、Miriam Kingsberg[88][89]、Jeffrey W. Alexander[90]、橋本明[91]、ならびに占領期日本を包括的に論じ、ピューリッツァー賞を受賞したJohn W. Dowerの書籍[92]がある。これらにおいて戦後のヒロポン禍は詳細に記述されているが、GHQが覚醒剤流通に直接的に関与したとする実証的記述は皆無である。
戦後、軍の備蓄のヒロポンが民間に流出したのは事実であるが、一次資料、実証的検証の査読論文すら不在のまま、一部で「GHQの関与説」が流布されているのは、ヒロポンは『覚醒剤=違法・麻薬・有害』であるのだから、当然『GHQが定義する<日本軍用医薬品麻薬備蓄>の麻薬としてヒロポンが含まれていたはずだ』というレトロスペクティヴ・バイアスから逆算された推論である可能性が指摘されうる[93]。
1949年に乱用が問題視され始め、1951年に覚醒剤取締法が制定され、そこで初めて法的にメタンフェタミンは『違法薬物=悪』として認知されたのであり、戦中に合法市販薬であったメタンフェタミンを、軍部が時間とコストをかけ隠蔽工作をする合理的事由は希薄であり、その裏付けとしてGHQによる直接的関与の証拠も現在に至るまで確認されておらず、実証的研究による報告もなされてない[94][95][96][97]。
また、戦時中(1941-1945年)のヒロポン(大日本製薬製)の大量生産は、主に錠剤(突撃錠・猫目錠など)であり、注射液アンプル(1ccなど)の大量生産・軍需供給を示す一次資料は確認されていない。大日本製薬の社史では「戦時中、軍部が夜間戦斗従事者に之を用いた事により」と錠剤使用を記述しているが、注射液の言及はない[98]。
1949年11月30日の第6回国会参議院予算委員会第10号において厚生省薬務局長・慶松一郎は、「陸軍、海軍で使っておりましたのは、すべて錠剤でございまして、飛行機乗りとか、或いは軍需工場、軍の工廠等におきまして工員に飲ましておりましたもの、或いは兵隊に飲ましておりましたのはすべて錠剤でございまして、今日問題になつておりますような注射薬は殆んど当時なかったと私は記憶いたしております」と答弁しており[99]、軍用とされるヒロポン注射液アンプルについては、元軍医の回顧録[100]やスケッチ(茶色い約3cmアンプル描写)があるものの、実物写真・現存品・博物館展示例は現在のところ発見・公開されておらず、戦時中にヒロポン注射液がどれだけ軍部用に製造、貯蔵していたのかを証明する一次資料は確認されていない。
仮にGHQによる大量放出を想定する場合、その前提として大規模な注射液備蓄の存在が必要となるが、これを裏付ける実証的証拠も現存せず、よって現在に至るまで査読論文としての研究対象外として位置付けられている。
西川伸一の研究によると、戦後における注射液の流行は、1949年頃から本格化したとされる[101]。
これは、民間製薬会社による新生産が起点であり、武田薬品工業がゼドリン注射剤を1947年に、富山化学工業がネオアゴチン注射剤を1948年に発売したことに続くものである。1950年には富山化学工業が厚生省の生産割当(5万本)に対し800万本を製造するなど、民間製薬会社によるメタンフェタミン及びアンフェタミンの注射剤の超過生産が乱用拡大の主因となった経緯を示すものである。
戦後におけるヒロポン乱用の主因を「GHQによる軍備蓄のヒロポン注射液の大量解放」とする見解は時間的整合性および供給構造の観点において実証的研究では支持されておらず、現在の研究においては、戦後の覚醒剤流通の拡大は主として旧軍需在庫および製薬企業の在庫が統制の弛緩の中で市場へ流入した結果として説明されることが一般的であり、GHQの直接的関与については実証性を欠いた遡及的解釈として位置付けられている。
戦後のヒロポンの蔓延から規制まで
[編集]覚せい剤取締法施行前
[編集]ヒロポンを販売していた大日本製薬会社は、参議院厚生委員会で「ただ大量に使っても、生命の危険はない薬だというふうに考えておったのですが、昭和22年頃から、ぼつぼつ中毒が現われたというお話でございます。我々の聞き知ったのは、もっとあとでございまして(中略)つまりたばこを吸ってたばこがやめられなくなると、量が殖えるという程度のものとしか思っておらなかったのです。ところがいろいろ御研究になりますと、麻薬に類したような禁断症状さえ出て来るというようなお話を伺って、実はびっくりしたわけであります」と、戦後暫く経ってからようやく毒性を認識したと証言し[102]、対策が後手に回ったこともあって、やがて覚醒剤の蔓延が社会問題化することとなり、ようやく様々な措置が取られることとなった。
1948年(昭和23年)7月には薬事法における劇薬の指定[103]。翌年3月には、厚生省から各都道府県知事に、国民保険上憂慮すべき事態の発生が考えられるため、販売制限を予定し、疲労防止などの表示を除去するという通達をし、10月には製造自粛などを通達し、1950年2月には医師の指示が必要な処方箋薬となり、11月29日に生産中止を勧告[103](当時の処方箋指定の無意味さは、精神安定剤#歴史も参照)。
覚せい剤取締法施行後
[編集]そして、1951年に覚せい剤取締法が制定・施行され、医療用と研究用に制限された[103]。しかし、まだ密造の覚醒剤が流通した。1954年(昭和29年)には、覚せい剤取締法の罰則が、懲役3年以下から5年以下へと強化された[103][1]。同年55,664人の検挙を経て、3年後には1000人を下回り、医薬品の軍部からの流通から生じた第一次覚醒剤乱用期は終息を迎えた[1]。
1954年には、経験者200万人、使用者50万人から100万人、中毒者20万人とされ、9月に東京大学医学部附属病院神経科に覚醒剤中毒での入院があり、翌々年には東京都立松沢病院に入院があり、年々で136名まで増えていった[103]。
しかし、取締りは逆に暴力団に流通を握らせることとなった[1]。覚醒剤自体は非常に安価に製造できるが、取引が非合法化されているため闇ルートでの流通となり、末端価格(小売価格)は数百倍にも跳ね上がる。
1970年(昭和45年)には、再び検挙数が1000人を超え、主に韓国ルートの密輸が増加し、他に台湾、タイ、マカオからの密輸が増加した[1]。1973年には罰則が懲役10年以下に強化され、1976年には検挙者が1万人を超えた[1]。第二次覚醒剤乱用期となり、価格が高く、暴力団や水商売回りに乱用が流行した[1]。
1980年代後半以降は芸能人・ミュージシャンなどの知名度や影響力の高い人物が覚醒剤使用で検挙されるケースも後を絶たず、繰り返しセンセーショナルな社会的話題となっている。
そして1995年から検挙数が増加し第三次乱用期とされ、携帯電話が普及し、元締めは暴力団だが末端の販売員がイラン人や友人となり暴力団関係者と接触せずに入手されるようになった[12]。同年にはオウム真理教が「修行」として覚醒剤を密造し信者に投与していたことが発覚し問題となった。
近年では、北朝鮮・台湾・トルコなど各地からの密輸も相当量あるといわれ、特に北朝鮮のそれは同国の主要な外貨獲得手段となっていると指摘されている。中学生・高校生が栄養剤感覚や痩せ薬感覚で手を出したり、主婦がセックスドラッグと騙されて服用するケースも増加し、薬物汚染として社会問題になっている。2005年、覚醒剤所持で逮捕された衆議院議員・小林憲司(当時民主党)が、衆議院議員在職中にも覚醒剤を使用していたことが判明し、国民に大きな衝撃を与えた。
日本以外での覚醒剤の歴史
[編集]
ナチス統治下のドイツでは1938年、アンフェタミンより数倍の強力な効果があるメタンフェタミンが、ペルビチン錠として市販された。
ドイツ国防軍も当初は危険性を強くは認識していなかったために、主に兵士に、積極的に覚せい剤を支給していた。家族から取り寄せる兵士もおり、第二次世界大戦初期の電撃戦で、短期間に連続した行動を求められる兵士の士気向上に効果を発揮した[104]。日本のヒロポンより先に1938年より市販されていたメタンフェタミンの錠剤「Pervitin」と「Isophan」を1940年4月〜7月のわずか4か月の間に3500万錠を製造し、ドイツ陸海空軍の兵士に支給した。その錠剤は見た目がチョコに見えることから「Panzerschokolade」(タンクチョコレート)と呼ばれたが、ラベルに「Stimulans」(覚醒剤)と表示され「不眠を維持したいときに服用すること。2錠あたり3〜8時間の睡眠の代わりになる。」と効果が説明されていた[105][106]。
ドイツでメタンフェタミンが注目されるきっかけとなったのが1936年ベルリンオリンピックで、アメリカの選手が使用したアンフェタミンの市販薬「ベンゼドリン」の効果に着目したドイツ国民が、メタンフェタミンの市販薬「Pervitin」を愛用するようになり、同じスポーツ選手のほかにも歌手や受験勉強中の学生はおろか、家庭の主婦までもが使用するようになっていた。このようにドイツ国内では、軍が使用する以前に既にドイツ国内で流行しており、多くの国民が愛用していた[107]。
特に、ドイツ空軍ではメタンフェタミンは「パイロットの塩」と呼ばれ、「塩」に例えられるほどの必需品として乱用され、ドイツ空軍活躍の原動力ともなっている。バトルオブブリテンでは、ドーバー海峡を挟んだ長距離の航空作戦となったことから、疲労回復と長時間の覚醒のためにドイツ空軍パイロットが「Pervitin」を常用するようになっていた[108]。またメタンフェタミンをチョコレートに混ぜた「Fliegerschokolade」もドイツ空軍のパイロットに支給され、大量に生産されたために、ドイツ軍兵士は終戦まで「タンクチョコレート」を服用し続けた
弊害に気づいて1941年に危険薬物に指定されたが、過酷な生活・戦闘を強いられる東部戦線の兵士やUボート乗組員など軍での使用状況は変わらなかった。大戦末期になると、大量に覚せい剤を使用してきたひずみにより、ドイツ軍兵士に覚せい剤中毒患者が発生しており、ドイツ第三帝国の国家医師指導者で内務省保険担当相であったレオナルド・コンティ 親衛隊大将が覚せい剤の危険性をようやく認識し使用制限を行おうとしたが、できないままで終戦を迎えた(レオナルド・コンティ大将は降伏後に自殺)[109]。
また強制収容所の囚人らを実験材料に、副作用が少ない薬物の開発も進められていた[104]。
一方連合軍のアメリカ・イギリスもナチス・ドイツほどではないが、メタンフェタミンを使っており、主にドイツや日本への本土戦略爆撃機パイロットに、長時間飛行の疲労回復剤や眠気解消剤として支給していた[110]。またアメリカ軍は、覚せい剤アンフェタミンを現代に至るまで主にパイロットに使用している。最近でもアフガニスタン紛争 (2001年-2021年)での誤爆事件(ターナックファーム事件)で、アメリカ空軍が疲労回復剤として、アンフェタミンの錠剤の服用をパイロットに強制していたことが明らかになっている[111]。
日本における法規制
[編集]この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
日本における薬物犯罪の相当部分が、覚醒剤の濫用事犯であることなどに鑑み、覚醒剤取締法は麻薬及び向精神薬取締法とは別の単行法として制定され、覚醒剤の濫用事犯を、麻薬及び向精神薬の濫用事犯よりも重い刑罰をもって規制している。
| 対象物 | 違反態様 | 罰則(刑罰) | |
|---|---|---|---|
| 覚醒剤 | 輸入、輸出、製造 | 単純 | 1年以上の有期懲役 |
| 営利 | 無期若しくは3年以上の懲役又は情状により1000万円以下の罰金を併科 | ||
| 所持、譲渡、譲受、使用 | 単純 | 10年以下の懲役 | |
| 営利 | 1年以上の有期懲役又は情状により500万円以下の罰金を併科 | ||
| 覚醒剤原料 | 輸入、輸出、製造 | 単純 | 10年以下の懲役 |
| 営利 | 1年以上の有期懲役又は情状により500万円以下の罰金を併科 | ||
| 所持、譲渡、譲受、使用 | 単純 | 7年以下の懲役 | |
| 営利 | 10年以下の懲役又は情状により300万円以下の罰金を併科 | ||
国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律(麻薬特例法)において「規制薬物」とは次のものをいう。
| 違反態様 | 罰則(刑罰) |
|---|---|
| 業としての覚醒剤輸入、輸出、製造、譲渡、譲受 | 無期又は5年以上の懲役及び1000万円以下の罰金 |
| 薬物犯罪収益等の取得・処分事実の仮装又は隠匿 | 5年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金又はこの併科 |
| 薬物犯罪収益等の取得・処分事実の仮装又は隠匿を目的とする予備行為 | 2年以下の懲役又は50万円以下の罰金 |
| 薬物犯罪収益等の収受 | 3年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金又はこの併科 |
| 規制薬物としての輸入、輸出 | 3年以下の懲役又は50万円以下の罰金 |
| 規制薬物としての譲渡、譲受、所持、受交付 | 2年以下の懲役又は30万円以下の罰金 |
| 薬物犯罪収益等の隠匿・収受の実行又は規制薬物の濫用の公然、あおり、唆し | 3年以下の懲役又は50万円以下の罰金 |
2006年の覚醒剤事犯の再犯率は41.6%で、これは窃盗罪の再犯率44.7%に次いで2番目に高い[112]。また、身柄釈放から28.1%が1年以内に、49.8%が2年以内に再び覚醒剤事犯で検挙されている。このように覚醒剤事犯の再犯率が高く、また、再犯までの期間が短い理由は、覚醒剤の身体依存性が強いことに加え、薬物依存症に対する明確な治療法が存在しないこと、入手が極めて容易であることが挙げられる。
密造・密輸・流出経路
[編集]製造
[編集]しばしば個人や小グループによる密造事件が摘発されているが成功した事例は少ない。1977年に摘発された神奈川県の密造グループ(6人)は、参考書を手掛かりに独学で実験を重ねたが純度の低いものしか製造できず、実験器具などの経費約250万円を無駄にしていた[113]。
日本国内で組織的に不法製造が行われた例としては、福岡県南部を本拠地とした暴力団・浜田会によるものがある。過去の大規模な密輸活動および本拠筑後地区内での製造活動が確認されたほか[114]、1996年の5月には同会の覚醒剤密造疑惑を内偵していた福岡・宮崎・熊本各県警が、400名以上の警察官を動員したうえで、同会会長の関連会社の所有する宮崎県内の山中の広大な土地と建物の捜査を実施。同会会長を含む複数の関係者を検挙している。
また、オウム真理教においても覚醒剤を製造したとして、教祖の麻原彰晃など関連する人物が起訴された[注 1]。
その後も小規模な密造の摘発は続いていたが、2023年(令和5年)、愛媛県警察および四国厚生支局麻薬取締部などの合同捜査本部は、松山市内で100グラムを超える規模の覚醒剤を密造した工場を摘発。台湾在住者や暴力団関係者を含む9人を覚醒剤取締法違反(所持)容疑で逮捕した。密造は、台湾から来日した男性の知識に基づき行われていた[115][116]。
流通
[編集]現在、日本国内で違法に流通する覚醒剤は、そのほとんどが国外の工場で製造され密輸されたものである。密輸の手口は、近年は大規模な密輸が減少し、航空機旅客の携帯品内や国際郵便物に隠匿した少量の覚醒剤を繰り返し密輸するなど、小口化、分散化が進んでいる。このため検挙件数、検挙人員は増加傾向にあり、手口も年々巧妙化している。密輸の小口化、分散化が進んでいる要因は、麻薬特例法による罰則の強化などで1度に大量輸送する大規模な密輸はリスクが大きくなったことや、末端価格の高騰により少量でも利益が見込めるようになったためとみられ、今後もこの傾向は続くと予想される[117]。
国内に入った覚醒剤は暴力団を元締めとする密売人たちによって、主に繁華街などで流通する。しかし近年、イラン人の薬物密売グループが住宅街を拠点にしているのを摘発されたこともあり、流通ルートの郊外への拡散やインターネット取引の増加、密売組織の国際化による言葉の壁など、取締りは困難さを増している。
2010年以降では、一度に大量の覚醒剤を密輸する手口が増えている。2012年に、日本の警察が押収した覚醒剤の総量は約330キログラムだが、2013年4月には横浜港で約240キログラム、2013年6月には神戸港で約200キログラムの覚醒剤が見つかる事件が起こった。それぞれ2012年の総量の半分以上の量が、一度に見つかった事件である[118]。
2020年2月12日の財務省の発表によれば、2019年に関税法違反で摘発された覚醒剤の密輸事件は前年比約2.5倍の425件で、押収量も同約2.2倍の2,570キログラムで、比較可能な1985年以降で過去最多の摘発件数(2011年の185件)、押収量(2016年の1,501キログラム)を、いずれも大幅に上回った[119]。
仕出地(供給地)
[編集]1988年度の警察白書によれば、その前年の大量押収例に係る最大の仕出元は台湾で、全体の8割近くを占めていた。この年には福岡県を本拠地とする暴力団・道仁会の傘下組織が、一度の押収量としては史上最高であった約253キログラム(末端価格は当時の価値でおよそ420億円)の摘発を受けている。これは台湾から密輸されたもので、未押収の約317キログラムがその時点で既に関東地方等にまで渡り密売済みであった[120]。この組織は総構成員数20名あまりの小規模な団体でありながら、台湾からの大規模な密輸を洋上取引によって行い、それを全国の暴力団に卸すことで長年にわたり巨額の利益を上げていたことが判明している[121]。
第三次覚せい剤乱用期が宣言された1998年以降、日本で違法に流通する覚醒剤は、中華人民共和国、香港、朝鮮民主主義人民共和国が仕出地である。しかし、密輸の小口化と分散化が進むにともなって、密輸ルートが多様化しており、過去に摘発実績のない国・地域を仕出地とする密輸(後述)、過去に摘発の例がなく警戒の薄い日本の地方港・地方空港を狙った密輸が増えている[117]。また、日本人が運び屋に仕立てられるケースも増加している。中国からの密輸は日本人の困窮者を運び屋に仕立てる手口が横行しており、中国各地の空港で覚醒剤を日本に持ち出そうとした日本人が、相次ぎ逮捕されている[122]。
1997年から2002年まで、覚醒剤大量押収事件における総押収量の約4割を占める北朝鮮からの密輸は、北朝鮮船籍の入港規制や不審船取り締まりにより年々減少。アテネオリンピック終了後の2004年末頃からは北京オリンピックを控えた中国で、覚醒剤の原料となる麻黄の製造や流通の管理が強化されたため、原料の入手が困難になった北朝鮮国内の薬物製造ラインは稼働率が低下。薬物製造拠点とみられる3工場のうち2工場が休止に追い込まれ、北朝鮮による覚醒剤の生産量は激減した可能性が高いことが、国内外の捜査当局の調査で判明している[123]。
2007年は、カナダからの密輸が急増した。カナダからの密輸が急増した原因について、日本とカナダの捜査当局は、カナダを仕出地とする大量密輸入事件の逮捕者が、いずれの事件でも中国人だったことや、2004年以降、中国で覚醒剤原料の流通監視とともに、密造工場の摘発も強化されたことから、中国国内の密造拠点を失った香港系犯罪組織が、1997年の香港返還を機にカナダへ移住した組織のメンバーと連携して、カナダルートでの密輸ビジネスに乗り出したためと推測している。また、カナダ側からの情報や押収した覚醒剤の鑑定結果などから、カナダ国内には複数の密造拠点が存在する疑いが強い[124]。また、同年から過去に摘発実績のない国・地域を仕出地とする密輸の増加が顕著になり、同年はメキシコ、アラブ首長国連邦、トルコからの密輸を初めて摘発した[117]。
2008年は、減少傾向にあった中国からの密輸が増加した。また、南アフリカ、カンボジアからの密輸を初めて摘発した[117]。2009年は覚醒剤密輸事犯の摘発件数が過去最高を記録した。過去に摘発実績のない仕出地からの密輸も引き続き増加し、ベトナム、シンガポール、ロシアのほか、ナイジェリア、ウガンダ、ケニア、レソトといったアフリカ各国からの密輸を初めて摘発した[117]。増加が顕著なアフリカ各国からの密輸は、女性の恋愛感情を利用して麻薬の運び屋に仕立てる「ラブ・コネクション」と呼ばれる手口が多いため、騙された日本人女性が逮捕されるケースが増加しており、警察や大使館は注意を呼びかけている。また「ラブ・コネクション」は、利用された女性が事情を知らないため捜査は容易ではなく、密売組織までたどり着くのは難しい。
2010年、海上保安庁などは覚醒剤密輸のロシアルートの存在を初めて確認した。同年2月には、日本に密輸するためにロシア国内の地下工場で覚醒剤を製造していた犯罪組織のメンバーが、ロシア連邦保安庁に身柄を拘束されている。北朝鮮や中国からの密輸が困難になった日本では、覚醒剤の末端価格が高騰しており、他国よりも高値で取引されるため、ロシアの犯罪組織が日本の麻薬市場に目を向け始めた可能性があるとみて、海上保安庁が警戒を強めている[125]。
日本の警察が摘発した密輸事件の送り出し元の割合は、2009年まで中国が最大で、2番目がアジア各国であったが、2010年になってからは中国・アジア経由の割合は減少し、代わりにアフリカ諸国が急増して1位となっている。2012年時点で、日本への送り出し元の内訳は、1位がアフリカ、2位は中国となっており、3位のメキシコを始めとする中南米経由が中国に匹敵する量となっている[126]。過去にはほとんど見られなかったメキシコからの密輸は特に急増しており、メキシコ発の摘発量は4年で24倍に膨れ上がり、2012年には全体の2割近くを占めるようになっている[127]。
2019年には伊豆半島を拠点に瀬取りを行っていた中国籍の男が逮捕。船の中から1トンの覚醒剤を押収して過去最多の記録を塗り替えた(この前の記録は2016年に那覇港で押収された600キロ)[128]。また、2023年にはドバイから東京港に向かう船を利用して密輸を行った中国籍の男が逮捕。2019年の記録に次ぐ700キロの覚醒剤が押収されている[129]。
北朝鮮ルートの密輸入事件
[編集]警察では1997年から2007年までの間に、北朝鮮を仕出地とする覚醒剤の大量密輸入等事件を水際において7件検挙しているが、これら北朝鮮ルートの密輸入等事件の特徴として、1回の押収量が大量であること、押収した覚醒剤の純度が高いこと、比較的整った規格の包装が行われていることなどが挙げられることから、高度の技術水準および相当の資金を有する組織が事件に関与していたものと見られた[130]。
2010年現在、北朝鮮ルートによる密輸はほぼ壊滅状態にあるとみられるが、2004年以降に押収した覚醒剤の中に北朝鮮が仕出地であると疑われるものもあることから、警察では現在も北朝鮮ルートの覚醒剤密輸入に重大な関心をもち、対策の強化、情報収集等に努めている。また、関係各国の協力を呼び掛けるなど、北朝鮮を仕出地とする薬物密輸入事犯根絶のための国際社会への働き掛けも推進している[131]。
| 年 | 月 | 押収量 (kg) | 場所 |
|---|---|---|---|
| 1997年(平成9年) | 4月 | 58.6 | 宮崎県細島港 |
| 1998年(平成10年) | 8月 | 202.6 | 高知県沖 |
| 1999年(平成11年) | 4月 | 100.0 | 鳥取県境港 |
| 10月 | 564.6 | 鹿児島県黒潮海岸 | |
| 2000年(平成12年) | 2月 | 249.3 | 島根県温泉津港 |
| 2002年(平成14年) | 1月 | 151.1 | 福岡県沖(玄界灘) |
| 6月 | 237.0 | 鳥取県豊成海岸など | |
| 10月 | |||
| 11月 |
検挙状況
[編集]| 年 | 粉末押収量 | 錠剤押収量 | 検挙件数 | 検挙人員 |
|---|---|---|---|---|
| 1998年(平成10年) | 549.0 | - | 22,493 | 16,888 |
| 1999年(平成11年) | 1,975.9 | - | 24,167 | 18,285 |
| 2000年(平成12年) | 1,026.9 | - | 25,193 | 18,942 |
| 2001年(平成13年) | 406.1 | - | 24,791 | 17,912 |
| 2002年(平成14年) | 437.0 | 16,031 | 23,225 | 16,771 |
| 2003年(平成15年) | 486.8 | 70 | 20,129 | 14,624 |
| 2004年(平成16年) | 406.1 | 366 | 17,699 | 12,220 |
| 2005年(平成17年) | 118.9 | 26,402 | 19,999 | 13,346 |
| 2006年(平成18年) | 126.8 | 56,886 | 17,226 | 11,606 |
| 2007年(平成19年) | 339.3 | 4,914 | 16,929 | 12,009 |
| 2008年(平成20年) | 397.5 | 22,371 | 15,801 | 11,025 |
| 2009年(平成21年) | 356.3 | 12,799 | 16,208 | 11,655 |
注意
- 粉末押収量の単位は「キログラム (kg)」。
- 錠剤押収量の単位は「錠」。
- 粉末押収量には錠剤型覚せい剤は含まない。
- 錠剤型覚せい剤1錠は0.168グラム (g)。
- 検挙件数及び検挙人員には、覚せい剤事犯に係わる麻薬特例法違反の検挙件数及び検挙人員を含む。
これら押収された覚醒剤は、実際に密輸されている覚醒剤の10分の1から20分の1に過ぎないとも言われている[132]。
警察庁は、暴力団による覚せい剤の取引の収益を恐喝、賭博、ノミ行為等(公営競技関係4法違反)と並ぶ「伝統的資金獲得活動」の一つとして扱い、取り締まりを行っている[133]
官僚の覚せい剤使用(2019年)
[編集]2019年、キャリア官僚の逮捕が相次いだ。いずれも職場で使用した疑いが持たれている。
4月27日、経済産業省製造産業局自動車課課長補佐(28歳)が、覚醒剤(フェニルメチルアミノプロパン)約21グラムが入っていると知りながら国際スピード郵便を受け取ったとして、麻薬特例法違反(規制薬物としての所持)、覚せい剤取締法違反(密輸・使用)などの現行犯で逮捕[134]。勤務先の机から注射器6本が押収された。覚醒剤は海外サイトを通じて個人で密輸し、ビットコインで代金を支払っていたという[135]。
5月28日、文部科学省初等中等教育局参事官補佐(44歳)が、覚せい剤取締法違反(所持、使用)などの現行犯で逮捕。勤務先から注射器数本が押収され、一部は使用済みで、小さなポリ袋に入った覚醒剤のようなものも見つかった[136]。
乱用防止の取り組み
[編集]日本では覚醒剤の乱用が大きな社会問題になっており、乱用防止のため様々な取り組みが行われている。
- 薬物乱用対策推進会議
- 厚生労働省、都道府県などが主催するキャンペーン。
- 厚生労働省、都道府県、麻薬・覚せい剤乱用防止センターが主催するキャンペーン。
覚醒剤撲滅のCMキャンペーンでは、日本民間放送連盟が1983年から数年間、「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」というキャッチフレーズのCMを放送した。
日本国外における法規制
[編集]多くの国家では、覚醒剤に関しては厳しく規制され、アジアでは販売者の最高刑を死刑と定める国家もある。大麻には寛容な国でも例外ではない。
シンガポールでの不法製造や、マレーシアでの50グラム以上の覚醒剤所持・密輸入で、有罪の法定刑は死刑のみとなる[注 2]。タイ王国においては譲渡目的での製造・密輸は死刑となり、譲渡・所持でも死刑または無期刑となる[138]。
中華人民共和国では50グラム以上の所持で死刑、大韓民国では営利目的のケースでは最高刑が死刑である。1972年(昭和47年)の日中国交正常化後、中国において死刑を執行された日本人は、全員が覚醒剤犯である。欧米は、それほど厳しくないものの、イギリス、フランスが最高で無期懲役、アメリカ合衆国は州ごとに違い、最高で終身刑となる州もある[139]。
一方でメキシコでは、2009年8月に少量のヘロイン・大麻・コカイン・覚醒剤の所持を合法化する法律が施行された。以前は覚醒剤所持が見つかっても、少量なら逮捕の判断は現場の警察官のさじ加減だったため、賄賂と汚職の温床になっていた[140]。
日本国外の状況
[編集]2007年3月、メキシコのメキシコシティで、覚醒剤密輸組織を捜査していたメキシコ市警察は、市内の高級住宅街の邸宅を捜索、現金約2億600万ドル(約237億円)を押収、7人を逮捕したと発表した。麻薬絡みの現金押収としては国内史上最高額とみられる。摘発された一味は、製薬会社の業務を偽って活動。インドから原料を輸入し、覚醒剤に用いられるメタンフェタミンを製造していた。
近年、麻薬取引の世界では、メキシコの犯罪組織が急速に台頭しており、アメリカ麻薬取締局もメキシコの犯罪組織に対し、重大な懸念を表明している。世界中に10万人以上のメンバーがいると見られている、中南米系の犯罪組織であるMS-13も米国内で急速に勢力を拡大している。
2009年1月、中華人民共和国で1998年から1999年までの間に12.36トンの覚醒剤を製造密売し、108.85キロのヘロインを密売していた”世界頭號冰毒大王(世界の覚醒剤王)”陳炳錫の死刑が広東省広州市で執行された[141]。
2013年11月、貿易業を営む愛知県稲沢市の市議会議員(当時:任期満了で失職)が、中国で覚醒剤を密輸出しようとしたとして、広州白雲国際空港からの出国直前に当局に逮捕された。本人は嫌疑を否定した[142]が、2019年11月8日、広東省の広州市中級人民法院(地裁に相当)は、無期懲役の判決を言い渡した。弁護側は上訴した[143]が、2022年11月、一審支持・上訴棄却が言い渡された[144]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 山下格、森田昭之助編集『覚醒剤中毒』金剛出版、1980年、11-13,24-26,,41-42,,91頁。ISBN 4772401180。 NCID BN01347847。
- 1 2 3 投石保広「覚醒剤」『心理学辞典』有斐閣、1999年、113頁。ISBN 4-641-00259-2。
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関連項目
[編集]外部リンク
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- 全国薬物依存症者家族会連合会
- 覚せい剤 - 脳科学辞典
- 『覚醒剤』 - コトバンク