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中川部屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中川部屋(なかがわべや)は、かつて存在した時津風一門相撲部屋

ここでは前身の春日山部屋(かすがやまべや、伊勢ヶ濱一門)についても記述する。

歴史

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春日山部屋

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伊勢ノ海一門時代

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春日山部屋の初見は、寛政年間に初代春日山(幕内・春日山)が興した部屋が挙げられる。この時の部屋は短期間で閉鎖されるが、弟子の一人である幕内・伊勢ノ海が初代伊勢ノ海して伊勢ノ海部屋を創設。同部屋が代々継承され系列の部屋が伊勢ノ海一門として隆盛すると、春日山も一門の源流の名跡として譜代の名跡の一つになり、伊勢ノ海部屋出身の力士が襲名し、春日山部屋も伊勢ノ海一門の部屋として幾度となく再興される[1]

しかし、大正以降は伊勢ノ海一門は衰微し、1946年に消滅。14代春日山(元関脇・藤ノ川)は1946年(昭和21年)11月に部屋を閉鎖し、立浪部屋に弟子を預けた。以降、春日山部屋は立浪部屋の系統(のちの伊勢ヶ濱一門)となる[2]

14代・15代・16代春日山時代

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1955年5月に立浪部屋の部屋付き親方である15代春日山(元大関・名寄岩)が幕内・大昇らを連れて、分家独立する形で部屋を再興した。15代春日山は直弟子から十両・白法山らを育てた。1971年1月の15代春日山逝去に伴い、同年2月に部屋付き親方である12代浦風(元幕内・大昇)が16代春日山を襲名して部屋を継承した。16代春日山は幕内・春日富士らを育てた。1990年(平成2年)7月に16代春日山が定年退職を迎えた時点で部屋を継承できる年寄が不在だったために部屋は閉鎖され、春日富士を含む所属力士は安治川部屋へと移籍した。

20代春日山時代

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16代春日山が育て上げた唯一の幕内力士である春日富士は、1996年9月場所限りで現役を引退して年寄・20代春日山を襲名し安治川部屋の部屋付き親方となった後、1997年7月に分家独立して春日山部屋を再興し、自身が5歳から育った場所で現役中も居を構えていた神奈川県川崎市に部屋を設立した。神奈川県に開設された初の相撲部屋とされた。2002年7月場所において春日王が新十両へ昇進し、20代春日山が部屋を再興してから初となる関取が誕生した。2011年6月には所属力士不在となったために閉鎖された高島部屋から年寄13代高島(元関脇・高望山)・行司12代式守与太夫呼出耕平・床山床仁を受け入れた。

2012年1月に20代春日山は日本相撲協会理事選挙で理事に選出される。20代春日山は部屋経営と理事職との両立は困難であるとして、同年2月に引退した同じ立浪一門の追手風部屋に所属する元幕内・濵錦に21代春日山を襲名させて師匠の座を譲り、自身は16代を襲名して春日山部屋の部屋付き親方となり、理事専任となった。

しかし、同年9月20日付の『週刊新潮』で、16代雷の不倫と不正経理疑惑のスキャンダルが報じられる。16代雷は責任を取る形で、9月20日付で日本相撲協会を退職した。この際、21代春日山は部屋施設を20代春日山から賃貸契約で借り受けて運営する形をとっていた。

名跡継承騒動

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騒動の経緯

2013年10月4日、20代春日山が21代春日山に対して滞納分の賃貸料287万3548円の支払いと施設からの退去を請求する訴状を横浜地方裁判所川崎支部へ提出したことが明らかとなった[3]。20代春日山の主張では、2013年に入ってから部屋の賃貸料の滞納が続いており、21代春日山が賃貸料の支払いと施設からの退去要求に応じなかったためであるとした[4]

民事訴訟

これに対して、21代春日山は同年11月8日に会見を開き、2013年に入ってから部屋の賃貸料が倍増となったことを把握していなかった旨の釈明をした。それと共に、20代春日山と現時点で春日山の年寄名跡証書[注 1]を保管しているとされるその知人の2人に対して証書の返還を求めて提訴する意向であることを表明し[6][7]、同月11日に横浜地方裁判所川崎支部へ訴状を提出した。

その後、20代春日山が21代春日山を提訴した民事訴訟では、2014年7月11日に21代春日山の給与や部屋維持費などの仮差し押さえを認める決定が下され[8]、その際には21代春日山側が20代春日山側の要求していた供託金を用意したために処分は取り消されたものの、2015年3月20日に再び仮差し押さえを認める決定が下された[9]。同年6月17日には同支部にて両者の和解が成立し、21代春日山側が同年9月末までに現在の部屋施設から退去し、未払いとされた2013年5月から2015年9月までの29ヶ月分の賃貸料1740万円を20代春日山側に支払うことで合意した[10]。この和解内容に基づき、部屋一同は9月場所後の9月28日に部屋施設から退去、川崎区の大師河原から池上新町へと新たに部屋を移転した[11]

対して、21代春日山が20代春日山を提訴した民事訴訟では、2015年3月3日に横浜地裁川崎支部にて行われた訴訟の弁論準備において、20代春日山側は年寄名跡・春日山の資産価値を1億8000万円と試算した書面を裁判所へ提出した[12]。2016年8月2日に同支部は、相当対価は試算額を下回るものではなく、対価が支払われるまでは20代春日山側が年寄名跡証書を自ら保有する権利を有するとして、21代春日山に対して、同時点まで弁済したと判断した840万円を除いた金額である1億7160万円を支払うことを命ずる判決を下した[13]。8月4日に21代春日山は前述の判決を不服として控訴した[14]

21代春日山の師匠不適格処分による部屋の閉鎖

一方、10月12日に協会は、

  • 21代春日山が20代春日山から正式に年寄名跡証書を譲渡されていないこと。
  • 同年9月場所中において21代春日山は稽古場に来て指導した日が1日もなかったこと[注 2]

の2点をもって、力士指導の面において21代春日山が師匠には不適格であると判断、辞任するように勧告した[15]。21代春日山はこの時点での回答を保留し、協会は1週間後の同月19日午前10時までに回答するように通告した[16]

勧告を受けて、同月17日には部屋が立地する川崎市の福田紀彦市長は協会に対して部屋の存続を要請する要望書を提出した[17]。部屋後援会が中心にまとめた嘆願書には地元17団体2798人の署名が添えられ、後援会長と菊地義雄副市長、川崎商工会議所の加治秀基副会頭、川崎大師平間寺の藤田隆乗貫首が同日夕、協会に持参し辞任勧告撤回を求めた。協会側からは鏡山尾車が対応し、地元の意向を理事会に伝える考えを示したという[18]

翌18日には所属力士である幕下・水口と同・萬華城(まんかじょう)が勧告の撤回を求めて市内で会見を開き、同時に所属力士23人中11人が勧告撤回の嘆願書を協会へ提出したことが明らかとなった[19][注 3]。しかし、勧告が撤回されることはなく、21代春日山は19日午前、これを受諾することを表明した。これに伴い、部屋は閉鎖され、同日付で21代春日山と部屋付き親方である13代高島および力士23人・世話人1人・行司1人・呼出1人・床山2人は、次期師匠が新たに就任するまでの間の一時預かりという形で、同じ伊勢ヶ濱一門で21代春日山が現役時代に所属していた追手風部屋[注 4]へ移籍することが決定した。同時に年寄名跡証書の所有問題に関しては、協会側は未所有状況であることに変わりはないと認定したものの、裁判の決着まで結論を猶予する意向を示した[23]

ただし、辞任が急遽決定したために、埼玉県草加市にある追手風部屋の施設では受け入れ態勢が困難であるという理由から、暫定的な措置として、20代春日山が所有するかつての春日山部屋の施設で所属力士を指導することが認められ、19日の内に一同が池上新町から大師河原へと再び移転した[24]。追手風部屋からは、部屋付き親方である15代中川(元幕内・旭里)が川崎へ移住した上で師匠代行として力士を指導することとなった[25]

また、同日中に所属力士23人中12人が引退届を提出した[注 5]ものの、協会は翌20日、即座には受理せず保留とした[27]。同月27日までに、危機管理部長を務める8代鏡山(元関脇・多賀竜)が事情を説明した上で改めて電話で意思の確認を行ったところ、数人が引退を翻意する意向を示したことから、協会は改めて特例として受理を同年11月場所後の番付編成会議まで見送ることを決定した[28][29]。これを受けて、同場所における番付では12人も追手風部屋の所属として記載されたものの、全員が本場所には出場せずに全休し、結局は誰も引退の撤回を表明することなく、場所終了後の11月30日に引退が正式に発表された[30]。同年12月23日には川崎大師にて、12人にそれとは別に引退の意向を表明した2人[注 6]を加えての所属力士14人の合同断髪式が行われた[31][32]

21代春日山退職

師匠辞任問題に関連して、協会は2016年11月20日、12月26日に行われる年寄総会において全ての年寄と人材育成業務の委託契約を締結し直し、当日に年寄名跡証書の預かり証を提出しない年寄を退職させることを決定した[33]。21代春日山が20代春日山を提訴した民事訴訟の控訴審は同年11月1日から東京高等裁判所にて開始され[34]、以降も断続的に両者の和解に向けての協議が行われたものの、和解条件の金額などに差があることで12月26日までの和解成立に至らず、証書の預かり証を期限内に提出することが不可能となってしまった。協会は当初は期限について猶予を与えない方針だったが、26日に次回の和解協議まで預かり証の提出を猶予することを決定し、21代春日山は同日までに提出できなかった場合は自主的に退職する意向を表明した[35]。その後、2017年1月場所9日目となる1月16日に和解協議が行われたものの、そこでも両者の和解は成立せずに決裂し、21代春日山は年寄名跡証書を正式に取得する見込みが立たなくなったことを理由として、同日付で退職した[36]。控訴審は決裂後も継続し、同年2月20日に21代春日山は20代春日山に対して年寄名跡証書の引き渡しを求めず、20代春日山も21代春日山に対してその対価を要求しないとして、双方が請求を取り下げる形で和解が成立したが[37]、その直後の3月9日に20代春日山は急逝した。

中川部屋時代

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15代中川による中川部屋としての再興

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2017年1月26日に日本相撲協会は春日山部屋から追手風部屋への一時預かりとして移籍して現役を続行していた力士9人および世話人1人・行司1人・呼出1人・床山2人を率いる形で、15代中川が追手風部屋から分家独立することを承認した。分家独立に際しては年寄名跡・春日山への名跡変更は行わず、部屋名はそのまま中川部屋となり、2016年12月に15代中川が伊勢ヶ濱一門から時津風一門へ移籍したことに伴い、中川部屋は時津風一門の所属となった[38][注 7]

15代中川が部屋の継承をした背景には20代春日山が一門の同期生という大切な仲間であったという事情があったという[39]

15代中川の懲戒処分による部屋の閉鎖

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2020年7月10日、15代中川が行き過ぎた指導(パワーハラスメント)をしていたことから、日本相撲協会が引退勧告以上の懲戒処分を検討しており、中川部屋は閉鎖される見通しであると報じられた[40][41]。6月までに相撲協会コンプライアンス委員会(青沼隆之委員長=元名古屋高検検事長)が師弟の聞き取り調査を行ったところ、所属力士が日常的な暴力と差別的な暴言を訴えた[42][43]。15代中川は同委員会の聴取に対し、当初は「手は出していない」と話していたが[44]、その後に退職願を提出した。相撲協会は、調査の途中であるためこの退職届は預かりとした[45]

同月13日、緊急理事会で15代中川に対する処分が協議された。コンプライアンス委員会の調査では以下の事案が判明しており、このことから同委員会は、15代中川の責任は重大であり、部屋の運営をさせるべきでないと指摘した。

  1. 2020年2月、ちゃんこを運ぶ弟子の不手際に対し、背中を蹴り、拳で殴打した。
  2. 同年3月場所中、宿舎に届いた荷物を部屋に転送する手配をした弟子に不手際があったと、背中を蹴り、左顔面を殴打した[46]
  3. 同年3月場所中、タクシーで移動した弟子が車内で居眠りをしたと腹を蹴り、胸を殴打した。
  4. 2019年夏頃、出稽古から帰ってきて挨拶をした弟子のこめかみを殴打した。
  5. (この3人に対し)「ぼんくら」「首にするぞ」「殺すぞ」「本当にうざいんだよ」などの暴言を日常的に繰り返していた[47]

その一方、暴力の際に道具を使用しておらず、弟子にけがはなかったこと、15代中川が深く反省しており、弟子も厳罰を望んでいないことから、退職勧告・懲戒解雇は重すぎると判断し、降格処分が妥当であるとする意見を答申[48]。これを受けて、理事会は15代中川への処分について、当初報道されていた退職勧告以上の処分ではなく降格処分(委員から年寄への2階級降格)にとどめ、中川部屋については閉鎖処分にすると決定し、発表された。

15代中川は時津風部屋へ転籍して部屋付き親方となり、所属力士9人は同じ時津風一門の時津風部屋(2人)、追手風部屋(1人)のほか、二所ノ関一門片男波部屋(1人)、伊勢ヶ濱一門友綱部屋(2人)、宮城野部屋(1人)、朝日山部屋(1人)の6部屋に転籍し、1人が引退した[49]。呼出は二所ノ関一門の片男波部屋、床山(2人)は荒汐部屋伊勢ノ海部屋へ、世話人は伊勢ヶ濱一門の宮城野部屋へ転籍した[50]。力士だけでも6部屋に分割される形で移籍したというのは前例がない。

暴力やパワハラの要因として、21代春日山の協会退職以降を引き継ぐかたちでやってきた15代中川の指導に旧春日山部屋力士たちが馴染めず、温度差が出来て、師弟としての人間関係を築けなかったのではと推測する一部報道もあった[51][45]。また移籍先は全て中川の独断で決められ、「せめて2人一緒にしてください」と懇願する力士もいたが、中川は聞き入れなかったと伝える報道もある[52]

中川部屋からの転籍の一覧
転籍先所属一門協会員
時津風部屋時津風一門15代中川、吉井(西幕下54)、笹崎[注 8](東序二段85)
荒汐部屋床仁(床山
伊勢ノ海部屋床春(床山)
追手風部屋大國里[注 9](西序二段37)
片男波部屋二所ノ関一門旭蒼天[注 10](西幕下6)、耕平(呼出
朝日山部屋伊勢ヶ濱一門吉澤[注 11](東序二段115)
友綱部屋[注 12]春日龍[注 13](東序二段35)、木山[注 14](西序二段48)
宮城野部屋春光[注 15](東序二段4)、白法山[注 16]世話人
引退旭勇幸(西三段目60)[53]

最終所在地

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画像

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師匠

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春日山部屋時代

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  • 14代:春日山 真弘(かすがやま まさひろ、関脇・藤ノ川新潟
  • 15代:春日山 静男(かすがやま しずお、大関・名寄岩北海道
  • 16代:春日山 貴佑(かすがやま たかひろ、前1・大昇長野
  • 20代:春日山 由晃(かすがやま よしあき、前1・春日富士宮城
  • 21代:春日山 嵩昌(かすがやま たかまさ、前11・濵錦熊本

中川部屋時代

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  • 15代:中川憲治(なかがわ けんじ、前14・旭里大阪

力士

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春日山部屋時代

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幕内

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十両

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その他、中川部屋閉鎖時に幕下に在位していた旭蒼天万来(20代春日山・21代春日山・15代中川弟子)が片男波部屋移籍後の2023年3月場所で十両に、2025年1月場所で幕内に、それぞれ昇進した(移籍後の四股名は玉正鳳萬平)。

旧・中川部屋

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大正時代に雷部屋の部屋付き親方である7代中川(元幕内・鬼鹿毛)が分家独立して中川部屋を創設した。7代中川は幕内・綾鬼らを育てたものの、1931年(昭和6年)1月に7代中川が死去したために、力士たちは同じ雷一門に所属する武蔵川部屋に引き取られた。

その後、中川の年寄名跡は立浪一門へ移り、1937年5月に立浪部屋の部屋付き親方である8代中川(元幕内・吉野山)が立浪部屋から分家独立して中川部屋を創設したものの、同部屋は1947年6月に閉鎖された。1960年5月には立浪部屋の部屋付き親方である9代中川(元幕内・清恵波)が中川部屋を再興したものの、同部屋は1973年3月に閉鎖された。

脚注

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注釈

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  1. この会見に先立つ同年5月に、21代春日山は日本相撲協会に対して年寄名跡証書の紛失届を提出して再発行を申請したものの、それに対して20代春日山が所有を表明したことにより、同年7月に当時の理事長である北の湖(元横綱)が再発行を取り消すという事態となっていた[5]
  2. 協会による春日山部屋の所属力士への聞き取り調査による。21代春日山も協会理事会の席上にてそれを認めた。
  3. 水口は2020年10月19日にYouTubeにアップロードした動画中で、相撲協会の圧力で会見の翌日からマスコミが来なくなったと述べた。述懐によると、20代春日山が師匠の頃は所属力士たちが「稽古の後は(20代が経営していた)ちゃんこ屋で働いている」状況であった。東京場所のときに団体客が入ると、力士たちは住んでいる大部屋を宴会場に変え、調理や後援者でない一般客の接待や給仕、後片付けをしていた。また20代は川崎大師の近くに2軒目の店舗を持っており、正月に力士は川崎大師前の通りでちゃんこの出店で働いていた。日常の食費は削られ、身体を作ることもできなかったという。 21代春日山は、力士を常識的に扱ってくれたという。しかし、所属力士のなかで20代派と21代派に分かれ、スパイのような人物も出てきてしまった。水口としては、そういういがみ合いに巻き込まれた感があったという。[20]
  4. 2016年12月22日に追手風部屋が伊勢ヶ濱一門から時津風一門へ移籍したことに伴い、師匠である11代追手風(元幕内・大翔山)と部屋付き親方である15代中川は時津風一門へ移籍したものの、年寄名跡所有問題で20代春日山と係争中である21代春日山はそのまま伊勢ヶ濱一門に留まった。なお、21代春日山と共に追手風部屋へ移籍した13代高島は、それに先立つ同年12月13日に伊勢ヶ濱一門に所属する宮城野部屋へと移籍している[21][22]
  5. 12人中11人は嘆願書を提出した力士であり、その多くは師匠辞任後に11代追手風が川崎市内にて春日山部屋の所属力士に対して行った状況説明の場には出席せず、2016年10月19日に川崎市内のホテルに集合し、21代春日山も同席して自身たちの合同断髪式の開催についての相談を行っていた[26]
  6. 2016年11月場所においてはこの2人も本場所には出場せずに全休していたが、正式な引退は2017年1月場所後の同年1月25日付とされた。
  7. 15代中川は幕内在位通算4場所のため、部屋を新設できる条件は満たしていないが、今回の追手風部屋からの分家独立は旧春日山部屋の再興という扱いのため、部屋を新設したことにはならないとされている。
  8. 2020年11月場所引退
  9. 2020年9月場所「大国岳」へ改名。2022年11月場所「大国巌」へ再改名。
  10. 2020年9月場所「玉正鳳」へ改名。2023年3月場所十両昇進。
  11. 2020年9月場所「大国山」へ改名
  12. 2022年2月1日より大島部屋へ改称
  13. 2022年1月場所引退
  14. 2020年9月場所「旭天稜」へ改名。2021年11月場所「旭輝山」へ再改名。2025年3月場所「旭疾風」へ再々改名。
  15. 2020年9月場所引退
  16. 2020年11月場所停年退職

出典

[編集]
  1. 生沼 2023, p. 233.
  2. 生沼 2023, p. 247.
  3. 賃料滞納問題で春日山親方を先代親方が提訴スポーツ報知 2013年10月5日記事
  4. 先代が春日山親方提訴へ「賃料払え」間借りの部屋代、未払い続くスポーツ報知 2013年10月4日記事
  5. 春日山親方側、和解を提案…年寄名跡証書引き渡し訴訟第1回控訴審 スポーツ報知 2016年11月1日記事
  6. 年寄名跡証書の返還訴訟 春日山親方「苦渋の選択」スポーツニッポン 2013年11月9日記事
  7. 先代「家賃払え」に春日山親方が逆提訴、名跡証書返せスポーツ報知 2013年11月9日記事
  8. 春日山親方の給与など仮差し押さえ 家賃滞納問題で横浜地裁が決定スポーツ報知 2014年7月12日記事
  9. 春日山親方の給料、仮差し押さえ…部屋の賃料滞納スポーツ報知 2015年3月20日記事
  10. 部屋明け渡し訴訟:春日山親方と先代和解成立毎日新聞 2015年6月17日記事
  11. 春日山部屋が川崎市内で引っ越し日刊スポーツ 2015年9月28日記事
  12. 先代春日山親方側が書面提出 名跡の価値は「1億8千万円」スポーツニッポン 2015年3月4日記事
  13. 春日山親方に名跡訴訟で1億7千万円支払い命じるスポーツニッポン 2016年8月2日記事
  14. 春日山親方が控訴=大相撲の名跡証書裁判時事通信 2016年8月4日記事
  15. 春日山親方に師匠辞任を勧告=力士は追手風部屋へ-相撲協会 時事通信 2016年10月12日記事
  16. 春日山親方に辞任勧告 名跡証書なく不適格 毎日新聞 2016年10月12日記事
  17. 「春日山部屋存続を」 川崎の有志ら嘆願書 神奈川新聞 2016年10月18日記事
  18. 「春日山部屋存続を」 川崎の有志ら嘆願書”. カナロコ. 神奈川新聞(2016年10月18日). 2021年5月3日閲覧。
  19. 春日山部屋所属の力士 親方の辞任勧告撤回訴え「師匠として適任」 スポーツニッポン 2016年10月19日記事
  20. 【閲覧注意】ここが変です相撲部屋。前回動画の「貴闘力チャンネルを見て」の4倍激辛です。(Youtubeお相撲ぐっちゃんねる 2020年10月19日)
  21. 高島親方が宮城野部屋付きに 毎日新聞 2016年12月13日記事
  22. 追手風親方、遠藤ら所属力士と時津風一門へ移籍…春日山親方は移らず スポーツ報知 2016年12月23日記事
  23. 春日山親方が師匠辞任勧告を受諾 毎日新聞 2016年10月19日記事
  24. 師匠辞職の春日山部屋、力士が荷物運び出し 日刊スポーツ 2016年10月19日記事
  25. 力士、旧春日山部屋で預かり=追手風親方に暫定措置 時事通信 2016年10月19日記事
  26. 春日山部屋12人引退届、集団断髪式計画 スポーツ報知 2016年10月21日記事
  27. 春日山部屋の12力士が引退届提出 毎日新聞 2016年10月20日記事
  28. 春日山部屋問題、引退決意の力士12人のうち数人が翻意… スポーツ報知 2016年10月27日記事
  29. 春日山部屋の複数力士が現役続行希望 引退届の受理を保留中 スポーツニッポン 2016年10月28日記事
  30. 大相撲 閉鎖の元春日山部屋 力士12人が引退 NHK NEWS WEB 2016年11月30日記事
  31. 旧春日山部屋所属14力士が合同断髪式 スポーツ報知 2016年12月23日記事
  32. 幕下・水口ら春日山部屋力士14人が断髪式参加”. スポニチAnnex(2016年12月24日). 2021年5月3日閲覧。
  33. 相撲協会、全親方と契約結び直しへ 春日山部屋問題受け 日本経済新聞 2016年11月20日記事
  34. 年寄名跡訴訟の控訴審開始…春日山親方側は和解を提案 スポーツニッポン 2016年11月1日記事
  35. 春日山親方、和解不成立なら自主退職へ…年寄名跡証書問題 スポーツ報知 2016年12月26日記事
  36. 春日山親方が退職、年寄名跡証書を期限に提出できず 日刊スポーツ 2017年1月16日記事
  37. 元春日山親方先代と和解…年寄名跡証書裁判 スポーツ報知 2017年2月21日記事
  38. 中川親方が旧春日山部屋を継承、名称「中川部屋」に 日刊スポーツ 2017年1月26日記事
  39. 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.108-109. 毎日新聞出版. (2018年2月1日)
  40. 大相撲、中川部屋が閉鎖へ…親方、不適切指導か 13日理事会で決定”. スポニチAnnex (2020年7月10日). 2020年7月10日閲覧。
  41. 中川親方、懲戒で部屋閉鎖へ 弟子に行きすぎた指導か”. 朝日新聞デジタル (2020年7月10日). 2020年7月10日閲覧。
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  44. 中川親方「手は出していない」 弟子への不適切な指導で部屋閉鎖の見通し(スポニチアネックス)”. Yahoo!ニュース(2020年7月13日). 2020年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月13日閲覧。
  45. 1 2 中川部屋、消滅…親方の不適切指導か 7月場所前に角界ドタバタ”. スポニチAnnex(2020年7月11日). 2020年7月14日閲覧。
  46. 月刊相撲2020年8月号16頁(ベースボールマガジン社)
  47. 中川親方、弟子に複数回の暴力 日常的に「殺すぞ」「本当にうざい」”. スポーツ報知 (2020年7月13日). 2020年7月13日閲覧。
  48. 中川親方を降格、部屋閉鎖に 相撲協会、暴力や暴言認定:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル(2020年7月13日). 2020年7月13日閲覧。
  49. “パワハラ閉鎖”中川部屋で断髪式…親方慕う力士引退決意 師匠は「すまない」と涙 (2020年7月13日)”. エキサイトニュース. 2020年7月13日閲覧。
  50. 不適切指導の中川親方は2階級降格、部屋閉鎖も発表 日刊スポーツ 2020年7月13日記事
  51. 大相撲「中川親方」の正体は…暴力とパワハラで部屋閉鎖へ|日刊ゲンダイDIGITAL”. 日刊ゲンダイDIGITAL(2020年7月13日). 2020年7月14日閲覧。
  52. パワハラ中川親方“音声データ”入手 障害者差別発言の中身|日刊ゲンダイDIGITAL”. 日刊ゲンダイDIGITAL(2020年7月22日). 2020年7月28日閲覧。
  53. l 向の岡工高相撲部出身 旭勇幸(きょくゆうこう) 母校で指導へ タウンニュース多摩区版 2020年7月24日号記事

参考文献

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  • 生沼芳弘『大相撲の社会学』22世紀アート東京都中央区、2023年7月31日。ISBN 978-4-88877-240-2 

関連項目

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  • 川崎フロンターレ 川崎市を本拠地とするJリーグクラブ。春日山部屋時代から力士がチーム名入りの浴衣を着用したり、試合時のイベントに力士が参加するなどといった協力関係を行っている。
  • 川崎純情小町☆ 川崎市を拠点に活動するアイドルグループで、2015年8月に発表されたシングル曲『裸々乱!』のPVに当時春日山部屋の所属力士たちが出演している。

座標: 北緯35度32分13.7秒 東経139度44分24秒 / 北緯35.537139度 東経139.74000度 / 35.537139; 139.74000