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菅賢治

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すが けんじ
菅 賢治
生誕 (1954-11-27) 1954年11月27日(71歳)
日本の旗 日本 長崎県佐世保市
職業 テレビプロデューサー、演出家
活動期間 1982年 -
団体 株式会社Bizvolante(ビズボランテ)
著名な実績ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
踊る!さんま御殿!!
公式サイト 公式プロフィール
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菅 賢治(すが けんじ、1954年11月27日[1] - )は、日本テレビプロデューサー、演出家。

日本テレビの元チーフプロデューサー、制作局長代理。愛称は「ガースー」。退社後は株式会社Bizvolante(ビズボランテ)に所属し、フリーの立場でバラエティ番組のプロデュースや講演活動を行っている[2]

略歴

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長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保北高等学校日本大学芸術学部卒業[2][3]

大学卒業後、バンド活動を経て1982年に日本テレビの関連会社である日本テレビエンタープライズに契約社員として入社。ADを経てディレクターとなり、『酒井広のうわさのスタジオ』などを担当した。1988年に日本テレビへ中途入社。

入社後はダウンタウン明石家さんまを起用した番組を次々と成功させ、バラエティ番組の黄金時代を築いた。特に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』ではプロデューサー・演出のみならず、自らも「ガースー」の愛称で出演。罰ゲーム企画『笑ってはいけないシリーズ』では、看板やポスター等の小道具として登場するのが恒例となった。

チーフプロデューサー、制作局次長、制作局長代理を歴任し、2014年3月31日付で日本テレビを定年退職[4]

日本テレビ退社後はビズボランテに所属し、フリーの立場でバラエティ番組の演出、プロデュース、また講演なども行なっている。

来歴

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大学在学中、“ABLE”というバンドのボーカルを務め、渋谷にあったライブハウス・“ヘッドパワー”に常時出演するなど、ミュージシャンを目指していたが挫折。その後1982年、知人に誘われ、日本テレビの子会社である日本テレビエンタープライズの契約社員となり、ADとして経験を積んでディレクターに昇格。『酒井広のうわさのスタジオ』など主にワイドショーを担当した。1988年、日本テレビに中途入社。

ダウンタウン明石家さんまを起用した番組を成功させた。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(ガキの使い)では時折、自ら出演者としても参加。菅を主役にした企画も数多く、独特のキャラクターと、下手な芸人[誰?]顔負けのギャグセンスを発揮することもある[要出典]。また、ドラマ『明日があるさ』にも出演したことがある。罰ゲームである『絶対に笑ってはいけないシリーズ』では、毎度毎度、看板や写真、ポスター、新聞などの小道具に登場し、笑いを誘った。

2005年6月、チーフプロデューサーに昇格。吉田真安岡喜郎梅原幹CPらから担当番組を引き継いだ。2006年1月16日、組織変更に伴い制作局付となり、2007年7月1日、井上健とともに制作局次長に就任した。

そして、2008年7月1日より担当していたすべての番組を竹内尊実、大野彰作チーフプロデューサーらに引き継いでいる。局次長就任後も現場に顔を出し、『ガキの使い』においては従来通りオープニングや罰ゲーム企画に出演した。

2009年7月1日からはバラエティー局総務に、2010年6月29日からは編成局総務、編成戦略センター長に、2011年7月1日から制作局総務兼バラエティーセンター長に、2012年6月1日より制作局長代理兼チーフプロデューサーとなり鈴木雅人松岡至が担当した一部の番組のチーフプロデューサーに就任した。2012年9月2日より担当していた一部の番組を大野彰作、松崎聡男に、また同年12月1日より担当していた一部の番組を松崎聡男、加藤幸二郎に引き継ぐとともに、編成局番組制作向上推進事務局員も兼務する。しかし、2013年6月1日付で制作局チーフプロデューサーと編成局番組制作向上推進事務局兼務を解き、制作局長代理専任になる。[5]また、同日付で担当していた番組は、田中宏史チーフプロデューサーが引き継いだ(行列は福田博之CPと共同)。

2014年3月31日付で日本テレビを退職[6]。退職後もフリーのプロデューサーとして、引き続き日本テレビの番組に関わっている。

エピソード

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  • 大学時代にピザ屋で、初対面の杉田かおると杉田の母親に気に入られピザを奢ってもらう。
  • ポーチを持って行動する機会が多かったが、「恋のから騒ぎ」で出演者のある女性が「ポーチを持っている男性はダサく見える」と発言したのをきっかけに、以降、菅自身も含めたスタッフ全員がポーチを持たなくなった。
  • 24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の深夜枠制作に参加した際、その番組内容が低俗なものであるとして視聴者等各方面から苦情が寄せられた。それから数年後再び深夜枠のプロデューサーを担当し、2012年度は当初担当する予定だった松岡が他番組の不祥事による異動により代わって番組全体のチーフプロデューサーを務めた。
  • 『ガキの使い』の中でスタッフ人気の高い『山崎VSモリマン』を大晦日に生放送でやりたいと考え、上層部に企画書を提出した所、「バカかお前は!」とどやし付けられたという。後日、菅本人は『ガキの使い』で「必ず実現させます!」と発言した上で実行させ、ダウンタウンの喝采を浴びた。
  • 『ガキの使い』の企画でココリコ遠藤章造と58分8秒間キスをし続けたことがある(1997年11月2日放送「街角耐久企画 アツアツキッスグランプリ!!」)[注 1]
  • 2008年7月27日フジテレビ特別番組FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』の1コーナー『さんま・中居の今夜も眠れない』内にて他局であるフジテレビに電話音声経由ながら初出演を果たした。
  • 2013年2月2日深夜(2月3日午前)NHKとの共同制作の特別番組、『日テレ×NHK 60番勝負』(日テレで放送)の互いの局内に潜入する企画で、NHK側が日テレ汐留本社に潜入した際に登場し、「プロフェッショナル 仕事の流儀」風の演出で紹介された。
  • 愛称の由来:業界用語の「菅(スガ)」を逆転させた「ガースー」が定着している。なお、元内閣総理大臣の菅義偉も同じ愛称で呼ばれることがあるが、両者に血縁関係はない[7]
  • 番組制作への姿勢:『ガキの使い』の大晦日特番について、当初上層部からは猛反対を受けたが、粘り強い交渉で実現させた経緯を持つ[3]
  • 家族:俳優の菅裕輔は実子。

現在の担当番組

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総監督

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プロデューサー

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企画・プロデュース

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過去の担当番組

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著書

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脚注

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注釈

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  1. 遠藤が尿意を我慢できず、キスをしながら二人でトイレに移動し用を足している最中に唇が離れてしまいストップした。2位(4分13秒)のダウンタウン浜田雅功とココリコ・田中直樹のペアと、3位(1分58秒)のダウンタウン・松本人志と山崎邦正(現・月亭方正)のペアを抑えて1位となり、遠藤と共に賞金30万円を獲得した。

出典

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  1. [(https://web.archive.org/web/20201027121848/http://gree.jp/hayashiya_pe_pako/blog/entry/493403619) 林家ぺー・パー子 公式ブログ/NSC1期生の憑依芸人] 2010年9月8日
  2. 1 2 [(https://bizvolante.com/talent/5668600916475904/) 菅 賢治 | TALENT | 株式会社Bizvolante]
  3. 1 2 [(https://www.kouenirai.com/profile/6635) 菅賢治 プロフィール|講演依頼.com]
  4. [(https://www.bunkatsushin.com/news/article.aspx?id=87826) 日テレ、菅賢治プロデューサー3月末退職 - 文化通信] 2014年4月4日
  5. 2013年5月14日(火)付読売新聞朝刊2面より。
  6. 日刊文化通信速報 2014年4月4日付 『日テレ、菅賢治プロデューサー3月末退職』
  7. [(https://getnavi.jp/entertainment/562147/) 「ガースー」こと菅プロデューサーが語る、今のテレビに足りないもの - GetNavi web] 2020年12月30日

関連項目

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