ストーリー

「今の自分はいなかった」 佐藤駿が感謝する2人の恩師との出会い

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内田快
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 小学校1年生の時、何組だったかは覚えていない。

 でも、フィギュアスケート男子、佐藤駿(22)=エームサービス・明大=の、あの日の恐怖の記憶は鮮明だ。

 「さようなら」

 帰りの会で同級生たちと声を合わせた瞬間だった。2011年3月11日、地震が来た。

 「想像もつかないくらい揺れました」

ミラノ・コルティナ冬季オリンピック(五輪)のフィギュアスケート男子で、佐藤駿選手が銅メダルに輝きました。その背景にあったストーリーです。

 仙台市の内陸部の泉区にある4階建ての校舎にいた。教室は「たぶん2階だった」。揺れが収まると階段を下りて、外へ避難した。

 「建物が本当に絵に描いたように真っ二つに割れているようにい見えました」

 校舎の亀裂、校庭の地割れ。

 「本当にすごく怖い経験でした」

 自宅マンションは半壊していた。しばらく、車で寝泊まりした。

 5歳の時にフィギュアスケートを始めた。毎日のように通っていた泉区のアイスリンク仙台は壁の一部がはがれ落ち、電気もつかなくなった。

 公共交通機関が復旧した頃、指導を受けていた浪岡秀コーチから連絡があった。

 「大丈夫だったら、埼玉へ滑りにいきましょう」

 土日を使って1泊2日で、浅…

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内田快
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