この社会は無意識のうちに、障害のない人が前提になっていないか――。
さまざまな人が情報やサービスを利用できること、またその度合いを示すアクセシビリティーを研究する、キュレーターで社会福祉士でもある田中みゆきさんは、そうした多数派が優先される社会で「静かに尊厳を削られる人たちがいる」ことを「エイブリズム」という言葉で問います。無自覚に人を線引きし、排除しないために何ができるのか。さまざまな展示の企画など実践も通じて考えることを聞きました。
アクセシビリティー研究者、キュレーター・田中みゆきさんインタビュー
――健常者が前提とされた社会の根底にある、「できる」(able)ことを標準とする考え方は、障害学などで「エイブリズム」(ableism)とも呼ばれます。
エイブリズムは「健常者中心主義」とも訳されますが、私はその訳には少し違和感があります。それは、訳自体が「健常者」が所与のものとして存在しているかのように思わせるからです。
エイブリズムが基準にしているのは「健常者」自体ではなく、障害のない人が多い社会が構築してきた「正常さ」だと思います。それは、健康な体を持つことや、知性や生産性といった社会的な好ましさに基づく規範であり、優生思想的な価値観とも地続きのものです。
障害者運動の歴史では、障害のある人が健常者と同じ権利を訴えてきました。でも健常か障害かが線引きされ、障害が健常との比較の上で劣った状態とされる限り、健常者が優位であることは変わらないし、差別もなくならない。エイブリズムという言葉には、その線引き自体への問題意識が込められています。
■より高度に・多く・早く 本当に望まれるのか
――なぜ線引きされてきたのでしょうか。
健常と障害は、境界を人工的につくらない限り、本来はグラデーションがあるものです。線引きは、健常な人を前提にした方が労働力や経済合理性を確保できるという、社会の都合でしかありません。マジョリティー(多数派)の側も、固定されたものではないのです。
線引きしたマジョリティーを…
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