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島田源太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島田 源太郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県気仙沼市[1]
生年月日 (1939-08-25) 1939年8月25日
没年月日 (2024-06-16) 2024年6月16日(84歳没)
身長
体重
179 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1958年
初出場 1958年
最終出場 1973年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

島田 源太郎(しまだ げんたろう、1939年8月25日 - 2024年6月16日[1])は、宮城県気仙沼市出身のプロ野球選手投手)・コーチ解説者愛称寝ぼけの源おとぼけの源[2]

2021年までの日本プロ野球最年少完全試合(20歳11ヶ月)達成者(2024年現在はセ・リーグ最年少記録)。

経歴

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宮城県気仙沼市出身[1]気仙沼高校では3年次の1957年夏の甲子園県予選で準決勝に進むが、仙台二高に敗退。卒業後は盛岡鉄道管理局への入社が内定していたが、大毎オリオンズの新人募集広告を目にして、上京して入団テストを受けるが不合格であった。しかし、プロ入りへの夢が捨てきれず、再び家族に黙って上京し大洋ホエールズの入団テストを受験。今度は合格し、テスト生のため契約金なしで入団[3]

1958年は新人ながら、春のキャンプで大きく割れるカーブが注目されて一軍に抜擢される[4]。11試合に登板して2勝を挙げるが、大阪遠征の帰路で、大阪駅プラットフォームでシャドウピッチングをしていたところ、バランスを崩して線路に転落し、右手首を骨折した[4]1959年は8試合に先発して4勝を記録。

1960年には開幕から先発の柱として起用される。8月11日大阪戦(川崎)では、村山実に1-0で投げ勝ち、当時の史上最年少となる20歳11ヶ月での完全試合を達成する(2022年佐々木朗希が更新)[5]。同年はチーム最多の41試合に先発、秋山登の21勝に次ぐ19勝(10敗)を挙げ、防御率も2.29でリーグ5位に入るなど、球団の初優勝に貢献[6]。大毎との日本シリーズでも2試合に先発、第2戦では勝利投手となりチーム日本一に大きく寄与した。

1961年も9勝を挙げるが19敗と大きく負け越すと、1962年は開幕投手を務めるが6勝13敗に終わり、さらに秋季キャンプで右肩を壊す。その後は、1964年から1966年の3年間で僅か2勝と長く低迷した。

1967年10月には先発に復帰して2完封を記録するが、同年オフには自由契約とされた。しかし、家計簿を持参して苦しい家庭事情を訴え、1年間の契約延長を勝ち取る。翌1968年は開幕から10連勝を達成するなどし、14勝6敗の好成績で最高勝率に輝き、防御率も2.89でリーグ10位に入った。1969年は5勝と成績を落とし、1970年は3試合の登板に終わって、シーズン終了後に一度現役を引退。1971年から大洋の投手コーチ補佐を務める。

1972年7月に平松政次が故障し坂井勝二が不調の中で突如現役に復帰[2]。3試合に救援登板して無失点に抑えると、8月16日中日戦(川崎)での2失点完投勝ちを含む3勝を記録した[7]1973年は敗戦処理を中心に9試合の登板に留まり、同年限りで再び引退。

引退後は東北放送仙台放送解説者(1974年 - 1981年)、ロッテ二軍投手コーチ(1982年 - 1983年)を務めた。

2024年6月16日、病気のため死去。84歳没[1]

選手としての特徴

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を曲げたような格好で振りかぶり、重い荷物を背中から放り出すような独特の投球フォームから、重く鋭く落ちるアウトドロップを武器とした[2]

人物

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ぼそぼそと東北弁で喋る様子から、寝ぼけの源あるいはおとぼけの源と呼ばれた[2]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1958 大洋 11000020----1.00012932.1250110021011092.451.11
1959 24831043----.57137091.07462514661034323.161.09
1960 504114841910----.655951247.11521662482033071632.290.87
1961 5132610919----.321927217.219314855101516196733.011.28
1962 4723200613----.316630147.01461149381281075623.801.33
1963 3924310410----.286616141.0146186215841080684.341.48
1964 30400015----.16726764.26121812434026202.771.22
1965 10410011----.50012330.0272910180114123.601.20
1966 5100001----.000317.192201400333.861.50
1967 14322020----1.00016744.030211122610861.230.93
1968 4122511146----.700697167.21631542210902057542.891.22
1969 301210056----.45534480.175113156652040343.831.32
1970 3000000--------244.2814012007712.602.57
1972 17310033----.50022953.04352557353026233.911.28
1973 9100000--------8314.022013078001585.142.50
通算:15年 381178381457077----.47655881342.0117410544929719442435624743.181.21
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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記録

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背番号

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  • 53 (1958年)
  • 20 (1959年 - 1971年、1973年)
  • 13 (1972年)
  • 75 (1982年 - 1983年)

関連情報

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出演

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脚注

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  1. 1 2 3 4 【独自】宮城・気仙沼出身、元プロ野球大洋の島田源太郎さん死去 史上最年少で完全試合達成」『河北新報』河北新報オンライン、2024年12月4日。2024年12月4日閲覧。(Paid subscription required要購読契約)
  2. 1 2 3 4 『魔球伝説-プロ野球不滅のヒーローたち』183頁
  3. 『魔球伝説-プロ野球不滅のヒーローたち』180頁
  4. 1 2 『魔球伝説-プロ野球不滅のヒーローたち』181頁
  5. 大洋で完全試合の元投手ら逮捕 財団かたり詐欺容疑”. 朝日新聞 (2012年4月20日). 2012年4月20日閲覧。
  6. 手紙で思い出す「ゲンちゃん」こと島田源太郎 そして森祇晶の凄さに思いを… | 東スポの野球に関するニュースを掲載
  7. 「大洋のベテラン・島田源太郎が見事な復活勝利/週べ回顧1972年編」週刊ベースボールONLINE、2021年3月24日

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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