内藤春治
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内藤 春治(ないとう はるじ、1895年4月1日 - 1979年5月23日)は、日本の鋳金家、工芸家、教育者。東京美術学校教授、東京藝術大学名誉教授。帝展・新文展・日展で活動し、日本芸術院賞を受賞した[1]。
生涯
[編集]岩手県盛岡市に生まれる[1][2]。少年期に釜師有坂安太郎に入門し、のち南部鋳金研究所で松橋宗明に学んだ。その後上京し、香取秀真に師事した[1]。
1920年に東京美術学校に入学し、1925年に鋳造科を卒業した。研究科修了後の1928年、同校助手となった[1]。1926年には高村周豊らと「旡型」を結成し、昭和初期の新工芸運動に参加した[1]。
1927年、第8回帝展に美術工芸部が新設されると「壁画への時計」を出品して入選した。1929年、第10回帝展出品作「花挿のある照明装置」で特選を受け、翌年から無鑑査となった[1]。1935年には旡型同人を中心に実在工芸美術会を結成し、翌年の文展鑑査展に招待出品した。以後も新文展・日展に出品を続けた[1]。
1944年に東京美術学校教授となり、戦後は東京藝術大学教授を務めた。1962年度に退官し、東京藝術大学名誉教授となった[1]。
業績
[編集]1955年、昭和29年度日本芸術院賞を受賞した[1]。また、同年以後も日展参事、日展評議員、日展参与などを歴任した[1]。
鋳金作品の制作に加え、正倉院御物の鏡の研究や仏像修理でも知られ、薬師寺薬師三尊や高徳院大仏の修理委員などを務めた。1962年完成の皇居新二重橋では、照明飾台や橋桁などの装飾デザインを担当した。さらに伊勢神宮御神宝の鏡、千鳥ケ淵戦没者墓苑に安置される恩賜の骨壺の製作にも携わった[1]。
主な所蔵作品
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- “内藤春治 (NAITŌ Haruji)”. 日本アーティスト事典. Art Platform Japan. 2026年3月21日閲覧。