辻光典
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辻 光典(つじ みつのり、1915年11月11日 - 1992年9月17日)は、日本の漆芸家。日展参事。日展出品作「装飾画、雲連作の六『クノサス』」により日本芸術院賞を受賞した[1]。
生涯
[編集]旧満洲ハルビン市に生まれる。青山学院を経て、1939年に東京美術学校工芸科漆工部を卒業した[1]。在学中の1938年、春台美術展に「文庫」、光風会展に「花器」で初入選した。翌年には実在工芸展に出品し、新工芸運動にも参加した[1]。
1940年に東京都工芸展「蛾の踊り」で知事賞を受賞し、1943年には光風会会員となった。戦後は1948年に型々工芸、1950年には洋和会を主宰し、建築物と結びついた壁面装飾に漆工家としての新しい方向を求めた[1]。
活動
[編集]日展では1952年の「太陽連作の一、風神雷神」で特選・朝倉賞、1956年の「太陽連作の五、エリオス」で再び特選を受けた。1958年に新日展評議員となり、「雲連作」を発表した[1]。1961年には第4回新日展出品作「雲連作の四、蜃気楼」で文部大臣賞、1964年には前年の日展出品作「装飾画、雲連作の六『クノサス』」で日本芸術院賞を受賞した[1]。
1960年には帖佐美行らと円心を結成し、翌年の現代工芸美術家協会発足にも参加した。のちには「人間の連作」シリーズを手がけた[1]。
作風
[編集]伝統的な漆技法を自在に駆使しつつ、独自の着想による象徴的表現を深め、漆芸界に新しい方向を提示したとされる[1]。
主な所蔵作品
[編集]- 「遊蝶石」 - 東京国立近代美術館[2]
脚注
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| 下線は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 | |||||||||